あれっ、てんとう虫くん、君はアルミサッシの外にへばりついてるんじゃなく、内側にいるね。ここは五階だし君にとってはものすごく高所だよね。風に吹かれて飛んで来てサッシの隙間から入り込んだんだろうね。多分もう一人では抜け出せないからしばらく様子を見てあとで外にだしてやろう。

あれっ、てんとう虫くん、君はアルミサッシの外にへばりついてるんじゃなく、内側にいるね。ここは五階だし君にとってはものすごく高所だよね。風に吹かれて飛んで来てサッシの隙間から入り込んだんだろうね。多分もう一人では抜け出せないからしばらく様子を見てあとで外にだしてやろう。

あれっ、てんとう虫くん、君はアルミサッシの外にへばりついてるんじゃなく、内側にいるね。ここは五階だし君にとってはものすごく高所だよね。風に吹かれて飛んで来てサッシの隙間から入り込んだんだろうね。多分もう一人では抜け出せないからしばらく様子を見てあとで外にだしてやろう。

あれっ、てんとう虫くん、君はアルミサッシの外にへばりついてるんじゃなく、内側にいるね。ここは五階だし君にとってはものすごく高所だよね。風に吹かれて飛んで来てサッシの隙間から入り込んだんだろうね。多分もう一人では抜け出せないからしばらく様子を見てあとで外にだしてやろう。

これはなんでしょう、おもしろ、ナマハゲみたいなものかな、、、。Facebookから
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「百済観音に寄せて・大人の子守唄」、1990年4月、新宿ミノトールライブ、カセット音源。
秦琴:深草アキ
打楽器:甲斐いつろう
80年代の後半から90年代にかけて新宿西口高層ビル群の一つ「NSビル」の中に、新星堂直営の「ミノトール」というライブハウスがありました。
当時僕は、新星堂の子会社「オーマガトキ」レコードの専属のような感じだったので、「ミノトール」には度々出演していました。 シャンソンとかボサノバなんかのミュージシャンが出演するレストランライブハウスでしたが、そんなことはおかまい無しに、20分も30分も休まずに、しかも、胡座で演奏していました。
そのミノトールでの1990年4月のライブから『大人の子守唄』、カセットテープ、打楽器は甲斐いつろう氏です。 コンプレックスで落ち込んだりしていた自分への慰めのタイトルだったと思います。
このライブの曲を編集している時にたまたま法隆寺の「百済観音」の写真を見ていて、この謎多き仏像に惹かれました。
作者は不明で、制作年代も飛鳥時代ではあるがはっきりとしない。法隆寺にもとから在ったものではなく、後世、他の寺院から移されたものとの説があるが、正確なことは解っていないらしい。
日本で百済人によって制作されたものと見なされてはいるが、朝鮮半島からの舶載品なのか、確証はないということです。 様式は中国・南朝のものが百済に伝わったものとされてはいるが、これも確たる証拠は無いらしい。
「百済観音」という呼称もさほど古いものではなく、大正6年(1917年)の『法隆寺大鏡』の解説が初出であるとされています。
仏像を見る心は古と現在とではまったく違っています。 現世の苦しみの救済を来世に願い、仏像に託す心は今ではもうとっくに失われていて、仏像自体は美術品になってしまっています。
決して戻らない謎多い死の、何一つも解っていないけれど。
「百済観音に寄せて・大人の子守唄」、1990年4月、新宿ミノトールライブ、カセット音源。
秦琴:深草アキ
打楽器:甲斐いつろう
80年代の後半から90年代にかけて新宿西口高層ビル群の一つ「NSビル」の中に、新星堂直営の「ミノトール」というライブハウスがありました。
当時僕は、新星堂の子会社「オーマガトキ」レコードの専属のような感じだったので、「ミノトール」には度々出演していました。 シャンソンとかボサノバなんかのミュージシャンが出演するレストランライブハウスでしたが、そんなことはおかまい無しに、20分も30分も休まずに、しかも、胡座で演奏していました。
そのミノトールでの1990年4月のライブから『大人の子守唄』、カセットテープ、打楽器は甲斐いつろう氏です。 コンプレックスで落ち込んだりしていた自分への慰めのタイトルだったと思います。
このライブの曲を編集している時にたまたま法隆寺の「百済観音」の写真を見ていて、この謎多き仏像に惹かれました。
作者は不明で、制作年代も飛鳥時代ではあるがはっきりとしない。法隆寺にもとから在ったものではなく、後世、他の寺院から移されたものとの説があるが、正確なことは解っていないらしい。
日本で百済人によって制作されたものと見なされてはいるが、朝鮮半島からの舶載品なのか、確証はないということです。 様式は中国・南朝のものが百済に伝わったものとされてはいるが、これも確たる証拠は無いらしい。
「百済観音」という呼称もさほど古いものではなく、大正6年(1917年)の『法隆寺大鏡』の解説が初出であるとされています。
仏像を見る心は古と現在とではまったく違っています。 現世の苦しみの救済を来世に願い、仏像に託す心は今ではもうとっくに失われていて、仏像自体は美術品になってしまっています。
決して戻らない謎多い死の、何一つも解っていないけれど。
「百済観音に寄せて・大人の子守唄」、1990年4月、新宿ミノトールライブ、カセット音源。
秦琴:深草アキ
打楽器:甲斐いつろう
80年代の後半から90年代にかけて新宿西口高層ビル群の一つ「NSビル」の中に、新星堂直営の「ミノトール」というライブハウスがありました。
当時僕は、新星堂の子会社「オーマガトキ」レコードの専属のような感じだったので、「ミノトール」には度々出演していました。 シャンソンとかボサノバなんかのミュージシャンが出演するレストランライブハウスでしたが、そんなことはおかまい無しに、20分も30分も休まずに、しかも、胡座で演奏していました。
そのミノトールでの1990年4月のライブから『大人の子守唄』、カセットテープ、打楽器は甲斐いつろう氏です。 コンプレックスで落ち込んだりしていた自分への慰めのタイトルだったと思います。
このライブの曲を編集している時にたまたま法隆寺の「百済観音」の写真を見ていて、この謎多き仏像に惹かれました。
作者は不明で、制作年代も飛鳥時代ではあるがはっきりとしない。法隆寺にもとから在ったものではなく、後世、他の寺院から移されたものとの説があるが、正確なことは解っていないらしい。
日本で百済人によって制作されたものと見なされてはいるが、朝鮮半島からの舶載品なのか、確証はないということです。 様式は中国・南朝のものが百済に伝わったものとされてはいるが、これも確たる証拠は無いらしい。
「百済観音」という呼称もさほど古いものではなく、大正6年(1917年)の『法隆寺大鏡』の解説が初出であるとされています。
仏像を見る心は古と現在とではまったく違っています。 現世の苦しみの救済を来世に願い、仏像に託す心は今ではもうとっくに失われていて、仏像自体は美術品になってしまっています。
決して戻らない謎多い死の、何一つも解っていないけれど。
1960年代初頭は日本の様々なメーカーがこのような小さなオープンリールテープレコーダーを製造してアメリカに輸出していた。Sony、松下、東芝とかの大手ではなく、今では最早存在していないような小さなメーカーが多く、それこそ台所の流し台のメーカーの「サンウエーブ」なんかもこういった小型のテープレコーダーを製造して輸出していた。日本経済の発展期だったので売れそうなものはこぞって作って輸出していたんでしょうね。
1962年あたりに発売され「Eastern」と銘が入っているこの「MODEL #501」というレコーダーは、これと同じ機種が、Galaxie、Nipco、Clipper、Royalなどなど様々に名前を変えて売り出されていた。
このような小型のレコーダーは、この「MODEL #501」のように、リールをモーターからのベルトで回しているのではなく、ゴム状のリール台にモーターの軸を押し付けて回している機種が多く、当然ワウフラッターも大きく、ちょっとした会話の録音にしか使えなかったようだ。
現在でもちゃんと動くものは少なくないけれど、これは電池を入れても動かない。

1960年代初頭は日本の様々なメーカーがこのような小さなオープンリールテープレコーダーを製造してアメリカに輸出していた。Sony、松下、東芝とかの大手ではなく、今では最早存在していないような小さなメーカーが多く、それこそ台所の流し台のメーカーの「サンウエーブ」なんかもこういった小型のテープレコーダーを製造して輸出していた。日本経済の発展期だったので売れそうなものはこぞって作って輸出していたんでしょうね。
1962年あたりに発売され「Eastern」と銘が入っているこの「MODEL #501」というレコーダーは、これと同じ機種が、Galaxie、Nipco、Clipper、Royalなどなど様々に名前を変えて売り出されていた。
このような小型のレコーダーは、この「MODEL #501」のように、リールをモーターからのベルトで回しているのではなく、ゴム状のリール台にモーターの軸を押し付けて回している機種が多く、当然ワウフラッターも大きく、ちょっとした会話の録音にしか使えなかったようだ。
現在でもちゃんと動くものは少なくないけれど、これは電池を入れても動かない。

1960年代初頭は日本の様々なメーカーがこのような小さなオープンリールテープレコーダーを製造してアメリカに輸出していた。Sony、松下、東芝とかの大手ではなく、今では最早存在していないような小さなメーカーが多く、それこそ台所の流し台のメーカーの「サンウエーブ」なんかもこういった小型のテープレコーダーを製造して輸出していた。日本経済の発展期だったので売れそうなものはこぞって作って輸出していたんでしょうね。
1962年あたりに発売され「Eastern」と銘が入っているこの「MODEL #501」というレコーダーは、これと同じ機種が、Galaxie、Nipco、Clipper、Royalなどなど様々に名前を変えて売り出されていた。
このような小型のレコーダーは、この「MODEL #501」のように、リールをモーターからのベルトで回しているのではなく、ゴム状のリール台にモーターの軸を押し付けて回している機種が多く、当然ワウフラッターも大きく、ちょっとした会話の録音にしか使えなかったようだ。
現在でもちゃんと動くものは少なくないけれど、これは電池を入れても動かない。

ビンテージマイクで老秦琴(ろうしんきん)を録る。いつもの弾いている秦琴とは一味も二味も違う。一オクターブにフレットが七個しか付いていない、その上、半音がない。どうやっても日本の都節のような哀調は出しにくい。しかしその分ちょっと不思議なペンタトニックで面白い。
Sony真空管テープレコーダー・TC-357のファンのモーター音がちょっと大きくなってきたので使えるかどうか分らなくなった。ただ、もうすぐ1950年代のドイツとイタリアあたりのオープンリールデッキが届くのでこれも使えるかどうか試してみたい。うまくいけばその古いデッキで録音出来るかも知れない。

ビンテージマイクで老秦琴(ろうしんきん)を録る。いつもの弾いている秦琴とは一味も二味も違う。一オクターブにフレットが七個しか付いていない、その上、半音がない。どうやっても日本の都節のような哀調は出しにくい。しかしその分ちょっと不思議なペンタトニックで面白い。
Sony真空管テープレコーダー・TC-357のファンのモーター音がちょっと大きくなってきたので使えるかどうか分らなくなった。ただ、もうすぐ1950年代のドイツとイタリアあたりのオープンリールデッキが届くのでこれも使えるかどうか試してみたい。うまくいけばその古いデッキで録音出来るかも知れない。

ビンテージマイクで老秦琴(ろうしんきん)を録る。いつもの弾いている秦琴とは一味も二味も違う。一オクターブにフレットが七個しか付いていない、その上、半音がない。どうやっても日本の都節のような哀調は出しにくい。しかしその分ちょっと不思議なペンタトニックで面白い。
Sony真空管テープレコーダー・TC-357のファンのモーター音がちょっと大きくなってきたので使えるかどうか分らなくなった。ただ、もうすぐ1950年代のドイツとイタリアあたりのオープンリールデッキが届くのでこれも使えるかどうか試してみたい。うまくいけばその古いデッキで録音出来るかも知れない。

まだ取り上げていないシネカメラもけっこうあるのでまた徐々に投稿したいと思っている。
あんまり出回っていないちょっと珍しいカメラや、映画の初期の撮影機器のような手回しのカメラもあります。三枚目の写真に写っている緑色の弁当箱のようなのは、1931年に発売された手回しの16mm撮影カメラです。手で持って撮影するのはもちろん無理なので当時も三脚を使って撮影されていたようですね。



まだ取り上げていないシネカメラもけっこうあるのでまた徐々に投稿したいと思っている。
あんまり出回っていないちょっと珍しいカメラや、映画の初期の撮影機器のような手回しのカメラもあります。三枚目の写真に写っている緑色の弁当箱のようなのは、1931年に発売された手回しの16mm撮影カメラです。手で持って撮影するのはもちろん無理なので当時も三脚を使って撮影されていたようですね。



まだ取り上げていないシネカメラもけっこうあるのでまた徐々に投稿したいと思っている。
あんまり出回っていないちょっと珍しいカメラや、映画の初期の撮影機器のような手回しのカメラもあります。三枚目の写真に写っている緑色の弁当箱のようなのは、1931年に発売された手回しの16mm撮影カメラです。手で持って撮影するのはもちろん無理なので当時も三脚を使って撮影されていたようですね。



ちゃんとした修理設備が無いのでハンダがゴテゴテになったりして悪戦苦闘のすえ、6本あったビンテージマイクのうちなんとか5本のマイクをちゃんと使えるようにした。左端下の丸いマイク「Grundig社 GCM3」は音は出るには出るがノイズが多くて使えない。
70年以上前のマイクはアースの取り方がちょっと変っていたり、プラグの中に小指の先くらいの小さなトランスが組み込まれていたり、半分壊しながらもなんとか直すことが出来た。それにしてもこんなダイナミックマイクだけれどけっこういい音がするんだね。かなりゲインを上げてもほとんどノイズがない。
実際に録音出来るまでなんとかあと一歩ということろまで来た。
<右から>
ドイツGRUNDIG社(グルンディッヒ)のステレオマイク「GDSM 330」
ドイツAEG•テレフンケン社の「D11/HI/B」
オランダPhilips社のステレオマイク「EL 3784/01」
オランダPHILIPS社のステレオマイク「EL 3757/00」
オランダPHILIPS社の「EL 3750/00」
ドイツGrundig社の「GCM3」

ちゃんとした修理設備が無いのでハンダがゴテゴテになったりして悪戦苦闘のすえ、6本あったビンテージマイクのうちなんとか5本のマイクをちゃんと使えるようにした。左端下の丸いマイク「Grundig社 GCM3」は音は出るには出るがノイズが多くて使えない。
70年以上前のマイクはアースの取り方がちょっと変っていたり、プラグの中に小指の先くらいの小さなトランスが組み込まれていたり、半分壊しながらもなんとか直すことが出来た。それにしてもこんなダイナミックマイクだけれどけっこういい音がするんだね。かなりゲインを上げてもほとんどノイズがない。
実際に録音出来るまでなんとかあと一歩ということろまで来た。
<右から>
ドイツGRUNDIG社(グルンディッヒ)のステレオマイク「GDSM 330」
ドイツAEG•テレフンケン社の「D11/HI/B」
オランダPhilips社のステレオマイク「EL 3784/01」
オランダPHILIPS社のステレオマイク「EL 3757/00」
オランダPHILIPS社の「EL 3750/00」
ドイツGrundig社の「GCM3」

ちゃんとした修理設備が無いのでハンダがゴテゴテになったりして悪戦苦闘のすえ、6本あったビンテージマイクのうちなんとか5本のマイクをちゃんと使えるようにした。左端下の丸いマイク「Grundig社 GCM3」は音は出るには出るがノイズが多くて使えない。
70年以上前のマイクはアースの取り方がちょっと変っていたり、プラグの中に小指の先くらいの小さなトランスが組み込まれていたり、半分壊しながらもなんとか直すことが出来た。それにしてもこんなダイナミックマイクだけれどけっこういい音がするんだね。かなりゲインを上げてもほとんどノイズがない。
実際に録音出来るまでなんとかあと一歩ということろまで来た。
<右から>
ドイツGRUNDIG社(グルンディッヒ)のステレオマイク「GDSM 330」
ドイツAEG•テレフンケン社の「D11/HI/B」
オランダPhilips社のステレオマイク「EL 3784/01」
オランダPHILIPS社のステレオマイク「EL 3757/00」
オランダPHILIPS社の「EL 3750/00」
ドイツGrundig社の「GCM3」

「回帰」、何処に帰るのか、帰る場所すら無い人々の嘆きが砲弾の音でかき消される。
1993年9月、於:四谷コタン with 甲斐いつろう、* DAT音源
Photo by 風月純史
秦琴(shin-kin):深草アキ
パーカッション:甲斐いつろう
夕焼けに郷愁を感じるのは何故だろう、色彩の美しさに言葉を失いただただ見つめ、自然の大きな営みの中に魂の故郷を無意識に感じているのだろうか。
「回帰」、何処に帰るのか、帰る場所すら無い人々の嘆きが砲弾の音でかき消される。
1993年9月、於:四谷コタン with 甲斐いつろう、* DAT音源
Photo by 風月純史
秦琴(shin-kin):深草アキ
パーカッション:甲斐いつろう
夕焼けに郷愁を感じるのは何故だろう、色彩の美しさに言葉を失いただただ見つめ、自然の大きな営みの中に魂の故郷を無意識に感じているのだろうか。
「回帰」、何処に帰るのか、帰る場所すら無い人々の嘆きが砲弾の音でかき消される。
1993年9月、於:四谷コタン with 甲斐いつろう、* DAT音源
Photo by 風月純史
秦琴(shin-kin):深草アキ
パーカッション:甲斐いつろう
夕焼けに郷愁を感じるのは何故だろう、色彩の美しさに言葉を失いただただ見つめ、自然の大きな営みの中に魂の故郷を無意識に感じているのだろうか。
右側の上段の金色パネルのものは非常に珍しいエコーマシーンです。改装してありますが元のものは、日本の「DENON INSTRUMENTS CO.LTD」という会社がおそらく1970〜80年代ごろに「EM-2000」というモデル名で売り出したエコーマシーンです。
DENONと云ってもあの音響機器の老舗のデノンとは全く関係がない別会社で、調べてみると現在では集積回路の工作機械なんかを製作している会社のようです。どうしてこのようなエコーマシーンを作ったのかはまったく分りません。
何時だったかはっきり覚えてないけれど、YAMAHAの渋谷・道玄坂店で手に入れ、高円寺のリペア工房「サニーサイド」で全面的に改装・改良してもらいました。デザインもすっかり一新して電源部も外付けにしてあります。
現在「EM-2000」を手に入れようとしたらプレミアが付いて50万円近くの値段になっているようです。まだ大月の長応寺に置いたままになっているので近々こっちに持って来てまた大切に使います。だけどずいぶん電源を入れてないからちゃんと動くかなぁ・・・。
その他のローランドのエコチェンも今となっては貴重な機器なので動かないものはきちんと直して売却しようと考えてます。
ちなみに「EM-2000」はこちらのサイトに。
https://soundgas.com/product/denon-dic-em-2000-tape-echo/

右側の上段の金色パネルのものは非常に珍しいエコーマシーンです。改装してありますが元のものは、日本の「DENON INSTRUMENTS CO.LTD」という会社がおそらく1970〜80年代ごろに「EM-2000」というモデル名で売り出したエコーマシーンです。
DENONと云ってもあの音響機器の老舗のデノンとは全く関係がない別会社で、調べてみると現在では集積回路の工作機械なんかを製作している会社のようです。どうしてこのようなエコーマシーンを作ったのかはまったく分りません。
何時だったかはっきり覚えてないけれど、YAMAHAの渋谷・道玄坂店で手に入れ、高円寺のリペア工房「サニーサイド」で全面的に改装・改良してもらいました。デザインもすっかり一新して電源部も外付けにしてあります。
現在「EM-2000」を手に入れようとしたらプレミアが付いて50万円近くの値段になっているようです。まだ大月の長応寺に置いたままになっているので近々こっちに持って来てまた大切に使います。だけどずいぶん電源を入れてないからちゃんと動くかなぁ・・・。
その他のローランドのエコチェンも今となっては貴重な機器なので動かないものはきちんと直して売却しようと考えてます。
ちなみに「EM-2000」はこちらのサイトに。
https://soundgas.com/product/denon-dic-em-2000-tape-echo/

右側の上段の金色パネルのものは非常に珍しいエコーマシーンです。改装してありますが元のものは、日本の「DENON INSTRUMENTS CO.LTD」という会社がおそらく1970〜80年代ごろに「EM-2000」というモデル名で売り出したエコーマシーンです。
DENONと云ってもあの音響機器の老舗のデノンとは全く関係がない別会社で、調べてみると現在では集積回路の工作機械なんかを製作している会社のようです。どうしてこのようなエコーマシーンを作ったのかはまったく分りません。
何時だったかはっきり覚えてないけれど、YAMAHAの渋谷・道玄坂店で手に入れ、高円寺のリペア工房「サニーサイド」で全面的に改装・改良してもらいました。デザインもすっかり一新して電源部も外付けにしてあります。
現在「EM-2000」を手に入れようとしたらプレミアが付いて50万円近くの値段になっているようです。まだ大月の長応寺に置いたままになっているので近々こっちに持って来てまた大切に使います。だけどずいぶん電源を入れてないからちゃんと動くかなぁ・・・。
その他のローランドのエコチェンも今となっては貴重な機器なので動かないものはきちんと直して売却しようと考えてます。
ちなみに「EM-2000」はこちらのサイトに。
https://soundgas.com/product/denon-dic-em-2000-tape-echo/
