2017年11月アーカイブ

先の投稿の「若州一滴文庫」での演奏を終えたその翌日、水上勉氏の弟さんに車で村を案内してもらった。水上家の菩提寺にも行き先祖代々のお墓を見せてもらったり、村の人々が土葬で葬られている小高い丘には、その中腹に小さな仏像が設けられ、お線香の煙がたなびいていた。

この村のはずれに六畳あまりの小さな阿弥陀堂があった。明治か大正だか忘れたけれど、女性の盲目の旅芸人が女の子を連れて流れ着き、その阿弥陀堂で暮らしていたそうだ。その言い伝えから発想を得て水上勉氏の小説「はなれ瞽女おりん」が生まれたそうだ。

車を止め小道を歩き、その阿弥陀堂に向かった。すると阿弥陀堂の脇の木に紐が張られ、そこに干された洗濯物が目に入った、明らかに誰か暮らしている。弟さんに聞くと○○ちゃんが住んでいると、名前は忘れたけれど、その人を「ちゃん付け」で呼んでいた。彼は精神に障害を持ち、村の畑の草むしりや田植え等を手伝い、村の人達に見守られながらその阿弥陀堂で暮らしていた。

彼は幼い頃京都で暮らし、両親が亡くなると、福井か新潟か忘れたけれど遠い施設に入れられた。その施設が馴染めず、逃げ出し、この阿弥陀堂に辿り着いて暮らし始めたそうだ。私達が阿弥陀堂に着いた時は彼は何処かに行っていていなかったけれど、中をちょっと覗いてしまった。粗末な布団が敷いてあり、わずかな食べ物が散乱していた。すこし衝撃で、祀ってある観音様がどんな姿なのかすっかり忘れている。

そんな彼は、祇園祭になると、自転車で野宿をしながら京都に行くそうだ。幼い頃、両親と見た祇園祭の、彼の目に映るその艶やかさは如何ばかりだろう。
ギーコギーコと自転車をこぐそんな彼に、雨降れば辛かろうと思い、まだ題名のついてなかった曲に「晴れのち晴れ」と名付け演奏している。この出来事はもう20年以上前のことなので彼がまだ生きているのか、死んでいるのか判らない。

ビデオは東京六本木にあった「スイートベイジル139」の2010年のライブ。
笙ソロとパーカッションソロをフューチャーした曲「晴れのち晴れ」

秦琴:深草アキ
笙:豊剛秋
パーカッション:甲斐いつろう

 

 

先の投稿の「若州一滴文庫」での演奏を終えたその翌日、水上勉氏の弟さんに車で村を案内してもらった。水上家の菩提寺にも行き先祖代々のお墓を見せてもらったり、村の人々が土葬で葬られている小高い丘には、その中腹に小さな仏像が設けられ、お線香の煙がたなびいていた。

この村のはずれに六畳あまりの小さな阿弥陀堂があった。明治か大正だか忘れたけれど、女性の盲目の旅芸人が女の子を連れて流れ着き、その阿弥陀堂で暮らしていたそうだ。その言い伝えから発想を得て水上勉氏の小説「はなれ瞽女おりん」が生まれたそうだ。

車を止め小道を歩き、その阿弥陀堂に向かった。すると阿弥陀堂の脇の木に紐が張られ、そこに干された洗濯物が目に入った、明らかに誰か暮らしている。弟さんに聞くと○○ちゃんが住んでいると、名前は忘れたけれど、その人を「ちゃん付け」で呼んでいた。彼は精神に障害を持ち、村の畑の草むしりや田植え等を手伝い、村の人達に見守られながらその阿弥陀堂で暮らしていた。

彼は幼い頃京都で暮らし、両親が亡くなると、福井か新潟か忘れたけれど遠い施設に入れられた。その施設が馴染めず、逃げ出し、この阿弥陀堂に辿り着いて暮らし始めたそうだ。私達が阿弥陀堂に着いた時は彼は何処かに行っていていなかったけれど、中をちょっと覗いてしまった。粗末な布団が敷いてあり、わずかな食べ物が散乱していた。すこし衝撃で、祀ってある観音様がどんな姿なのかすっかり忘れている。

そんな彼は、祇園祭になると、自転車で野宿をしながら京都に行くそうだ。幼い頃、両親と見た祇園祭の、彼の目に映るその艶やかさは如何ばかりだろう。
ギーコギーコと自転車をこぐそんな彼に、雨降れば辛かろうと思い、まだ題名のついてなかった曲に「晴れのち晴れ」と名付け演奏している。この出来事はもう20年以上前のことなので彼がまだ生きているのか、死んでいるのか判らない。

ビデオは東京六本木にあった「スイートベイジル139」の2010年のライブ。
笙ソロとパーカッションソロをフューチャーした曲「晴れのち晴れ」

秦琴:深草アキ
笙:豊剛秋
パーカッション:甲斐いつろう

 

 

先の投稿の「若州一滴文庫」での演奏を終えたその翌日、水上勉氏の弟さんに車で村を案内してもらった。水上家の菩提寺にも行き先祖代々のお墓を見せてもらったり、村の人々が土葬で葬られている小高い丘には、その中腹に小さな仏像が設けられ、お線香の煙がたなびいていた。

この村のはずれに六畳あまりの小さな阿弥陀堂があった。明治か大正だか忘れたけれど、女性の盲目の旅芸人が女の子を連れて流れ着き、その阿弥陀堂で暮らしていたそうだ。その言い伝えから発想を得て水上勉氏の小説「はなれ瞽女おりん」が生まれたそうだ。

車を止め小道を歩き、その阿弥陀堂に向かった。すると阿弥陀堂の脇の木に紐が張られ、そこに干された洗濯物が目に入った、明らかに誰か暮らしている。弟さんに聞くと○○ちゃんが住んでいると、名前は忘れたけれど、その人を「ちゃん付け」で呼んでいた。彼は精神に障害を持ち、村の畑の草むしりや田植え等を手伝い、村の人達に見守られながらその阿弥陀堂で暮らしていた。

彼は幼い頃京都で暮らし、両親が亡くなると、福井か新潟か忘れたけれど遠い施設に入れられた。その施設が馴染めず、逃げ出し、この阿弥陀堂に辿り着いて暮らし始めたそうだ。私達が阿弥陀堂に着いた時は彼は何処かに行っていていなかったけれど、中をちょっと覗いてしまった。粗末な布団が敷いてあり、わずかな食べ物が散乱していた。すこし衝撃で、祀ってある観音様がどんな姿なのかすっかり忘れている。

そんな彼は、祇園祭になると、自転車で野宿をしながら京都に行くそうだ。幼い頃、両親と見た祇園祭の、彼の目に映るその艶やかさは如何ばかりだろう。
ギーコギーコと自転車をこぐそんな彼に、雨降れば辛かろうと思い、まだ題名のついてなかった曲に「晴れのち晴れ」と名付け演奏している。この出来事はもう20年以上前のことなので彼がまだ生きているのか、死んでいるのか判らない。

ビデオは東京六本木にあった「スイートベイジル139」の2010年のライブ。
笙ソロとパーカッションソロをフューチャーした曲「晴れのち晴れ」

秦琴:深草アキ
笙:豊剛秋
パーカッション:甲斐いつろう

 

 

石川さゆりさんの最新アルバム『X-crossⅢ-』が発売されてますね。その中から秦琴がちょっとフィーチャーされた曲。投稿は冒頭の部分ちょっとですから著作権云々は大丈夫でしょう。石川さんとの縁は、1994年、作家水上勉氏が主宰されていた「若州一滴文庫」での演奏のときからだからもう20年以上になるかな。いまでも思い出したように演奏の声がかかる。レコーディングスタジオでも久しぶりに会いましたが、ほんとに今でも若々しいですよ。映像の顔モザ イクのような写真はアルバムのジャケット。

故筑紫哲也氏企画、「幻夢一夜」於:若州一滴文庫
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/post_8.html

そうそう、故水上勉氏との縁はまたおいおい投稿しましょう。なかなか面白い話しもあるよ。

h-isi-1.jpg

h-isi-2.jpg

h-isi-3_2.jpg

 

石川さゆりさんの最新アルバム『X-crossⅢ-』が発売されてますね。その中から秦琴がちょっとフィーチャーされた曲。投稿は冒頭の部分ちょっとですから著作権云々は大丈夫でしょう。石川さんとの縁は、1994年、作家水上勉氏が主宰されていた「若州一滴文庫」での演奏のときからだからもう20年以上になるかな。いまでも思い出したように演奏の声がかかる。レコーディングスタジオでも久しぶりに会いましたが、ほんとに今でも若々しいですよ。映像の顔モザ イクのような写真はアルバムのジャケット。

故筑紫哲也氏企画、「幻夢一夜」於:若州一滴文庫
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/post_8.html

そうそう、故水上勉氏との縁はまたおいおい投稿しましょう。なかなか面白い話しもあるよ。

h-isi-1.jpg

h-isi-2.jpg

h-isi-3_2.jpg

 

石川さゆりさんの最新アルバム『X-crossⅢ-』が発売されてますね。その中から秦琴がちょっとフィーチャーされた曲。投稿は冒頭の部分ちょっとですから著作権云々は大丈夫でしょう。石川さんとの縁は、1994年、作家水上勉氏が主宰されていた「若州一滴文庫」での演奏のときからだからもう20年以上になるかな。いまでも思い出したように演奏の声がかかる。レコーディングスタジオでも久しぶりに会いましたが、ほんとに今でも若々しいですよ。映像の顔モザ イクのような写真はアルバムのジャケット。

故筑紫哲也氏企画、「幻夢一夜」於:若州一滴文庫
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/post_8.html

そうそう、故水上勉氏との縁はまたおいおい投稿しましょう。なかなか面白い話しもあるよ。

h-isi-1.jpg

h-isi-2.jpg

h-isi-3_2.jpg

 

東京の銀座、昭和通りを歩いていて、又また見つけたビルの中の日本家屋。写真の4枚目と5枚目はお茶の水と紀尾井町にある日本家屋。ある意味ひと財産ですよね、土地が。こういう状況の家はけっこうまだまだあるようです。いろいろ訳があるんだろうね。それにしてもなんか画づらが面白い。ビルの谷間にまだまだがんばって建っているわけですよ。

h-hai-1-1.jpg

h-hai-1.jpg

h-hai-2.jpg

http://akifukakusa.com/blog2/2016/05/post-235.html

h-hai-3.jpg

http://akifukakusa.com/blog2/2016/07/post-245.html

h-hai-4.jpg

 

 

東京の銀座、昭和通りを歩いていて、又また見つけたビルの中の日本家屋。写真の4枚目と5枚目はお茶の水と紀尾井町にある日本家屋。ある意味ひと財産ですよね、土地が。こういう状況の家はけっこうまだまだあるようです。いろいろ訳があるんだろうね。それにしてもなんか画づらが面白い。ビルの谷間にまだまだがんばって建っているわけですよ。

h-hai-1-1.jpg

h-hai-1.jpg

h-hai-2.jpg

http://akifukakusa.com/blog2/2016/05/post-235.html

h-hai-3.jpg

http://akifukakusa.com/blog2/2016/07/post-245.html

h-hai-4.jpg

 

 

東京の銀座、昭和通りを歩いていて、又また見つけたビルの中の日本家屋。写真の4枚目と5枚目はお茶の水と紀尾井町にある日本家屋。ある意味ひと財産ですよね、土地が。こういう状況の家はけっこうまだまだあるようです。いろいろ訳があるんだろうね。それにしてもなんか画づらが面白い。ビルの谷間にまだまだがんばって建っているわけですよ。

h-hai-1-1.jpg

h-hai-1.jpg

h-hai-2.jpg

http://akifukakusa.com/blog2/2016/05/post-235.html

h-hai-3.jpg

http://akifukakusa.com/blog2/2016/07/post-245.html

h-hai-4.jpg

 

 

赤坂一郎という画家を知っていますか。すでに亡くなっていますが、生前は全く評価されずに画壇から消え去った画家だそうです。街の画を描いて魅力がありますが、ネットでもほとんど情報がありません。その昔「ガロ」という漫画雑誌の漫画家に同じ名前の人がいたようですが、この画家と同じ人なのかは定かではありません。けれどこの画をみているとなんか漫画のにおいもするからひょっとしてその人かも知れないけれど、残念なことに情報がほとんどなく、まさに幻の画家です。

h-aka-1.jpg

h-aka-2.jpg

h-aka-3.jpg

h-aka-4.jpg

h-aka-5.jpg


赤坂一郎という画家を知っていますか。すでに亡くなっていますが、生前は全く評価されずに画壇から消え去った画家だそうです。街の画を描いて魅力がありますが、ネットでもほとんど情報がありません。その昔「ガロ」という漫画雑誌の漫画家に同じ名前の人がいたようですが、この画家と同じ人なのかは定かではありません。けれどこの画をみているとなんか漫画のにおいもするからひょっとしてその人かも知れないけれど、残念なことに情報がほとんどなく、まさに幻の画家です。

h-aka-1.jpg

h-aka-2.jpg

h-aka-3.jpg

h-aka-4.jpg

h-aka-5.jpg


赤坂一郎という画家を知っていますか。すでに亡くなっていますが、生前は全く評価されずに画壇から消え去った画家だそうです。街の画を描いて魅力がありますが、ネットでもほとんど情報がありません。その昔「ガロ」という漫画雑誌の漫画家に同じ名前の人がいたようですが、この画家と同じ人なのかは定かではありません。けれどこの画をみているとなんか漫画のにおいもするからひょっとしてその人かも知れないけれど、残念なことに情報がほとんどなく、まさに幻の画家です。

h-aka-1.jpg

h-aka-2.jpg

h-aka-3.jpg

h-aka-4.jpg

h-aka-5.jpg


今年最後の「コタン」ライブ無事に終了。おいで頂いた皆様、ありがとうございました。パーカッションのいつろう君おつかれさまでした〜〜! コタンのスタッフの皆さん、音響スタッフの福田君、皆さんおつかれさまでした〜。

来年の一月からは奇数月の第四火曜日になります。来年の最初の「コタン」ライブは1月23日(火)になります。たぶんこのライブが来年の音初めになりそうです。

動画はiphoneで撮った映像です。You-tubeにもアップしてありますが、曲目は『絃鼗三日月(げんとうみかづき) 』のライブバージョン。音はiphoneで撮ったそのままなのでかなり荒っぽいですが、秦琴演奏の可能性はまだまだありそうですね。

h-2017:11:13ko-1.jpg

h-2017:11:13ko-7.jpg

『絃鼗三日月』ライブバージョン、with 甲斐いつろう

 

 

今年最後の「コタン」ライブ無事に終了。おいで頂いた皆様、ありがとうございました。パーカッションのいつろう君おつかれさまでした〜〜! コタンのスタッフの皆さん、音響スタッフの福田君、皆さんおつかれさまでした〜。

来年の一月からは奇数月の第四火曜日になります。来年の最初の「コタン」ライブは1月23日(火)になります。たぶんこのライブが来年の音初めになりそうです。

動画はiphoneで撮った映像です。You-tubeにもアップしてありますが、曲目は『絃鼗三日月(げんとうみかづき) 』のライブバージョン。音はiphoneで撮ったそのままなのでかなり荒っぽいですが、秦琴演奏の可能性はまだまだありそうですね。

h-2017:11:13ko-1.jpg

h-2017:11:13ko-7.jpg

『絃鼗三日月』ライブバージョン、with 甲斐いつろう

 

 

今年最後の「コタン」ライブ無事に終了。おいで頂いた皆様、ありがとうございました。パーカッションのいつろう君おつかれさまでした〜〜! コタンのスタッフの皆さん、音響スタッフの福田君、皆さんおつかれさまでした〜。

来年の一月からは奇数月の第四火曜日になります。来年の最初の「コタン」ライブは1月23日(火)になります。たぶんこのライブが来年の音初めになりそうです。

動画はiphoneで撮った映像です。You-tubeにもアップしてありますが、曲目は『絃鼗三日月(げんとうみかづき) 』のライブバージョン。音はiphoneで撮ったそのままなのでかなり荒っぽいですが、秦琴演奏の可能性はまだまだありそうですね。

h-2017:11:13ko-1.jpg

h-2017:11:13ko-7.jpg

『絃鼗三日月』ライブバージョン、with 甲斐いつろう

 

 

iphoneの音叉アプリ。
なぜ音叉アプリを使っているかと云えば、私の秦琴の調弦の基本音高がA=430で、その音叉がないからなのです。ミュージシャンのこまかい話しだけれど、ずいぶん以前から、特にクラッシク系の音楽は、A=442あたり、(最近ではもっと高く)が多くなっていて、楽器店で売っている音叉もこのA=442が多くなっています。ましてやA=430のような音の低い音叉はありません。このiphoneの音叉アプリは音高を自在に変えることが出来るので重宝しているわけです。

A=430は日本では現在の雅楽の音高で、どれほどの以前からこの音で演奏されていたかは定かではありませんが、735年に遣唐使の吉備真備がふところに忍ばせて持ち帰った「方響(ほうきょう)」の一片がそのもとのになっているのかも知れないですが、わかりません。「方響(ほうきょう)」とは鉄の板を並べて叩いて演奏する楽器です。その一片はいわゆる音叉のかわりになるのです。A=440とか442とかはいわゆる音楽のグローバル化ってやつですね。歴史的にはまだ100年も経ってないですよ。古の中国では面白い話しも多いですが、話しが長くなるので次回にしましょう。

とにかく、13日は「コタン」ライブ、A=430で演奏しますよ。ま
どってことないかなwwww・・・。

 スケジュールに http://akifukakusa.com/2017/10/20171113.html

 

h-onsa-1.jpg

 

 

iphoneの音叉アプリ。
なぜ音叉アプリを使っているかと云えば、私の秦琴の調弦の基本音高がA=430で、その音叉がないからなのです。ミュージシャンのこまかい話しだけれど、ずいぶん以前から、特にクラッシク系の音楽は、A=442あたり、(最近ではもっと高く)が多くなっていて、楽器店で売っている音叉もこのA=442が多くなっています。ましてやA=430のような音の低い音叉はありません。このiphoneの音叉アプリは音高を自在に変えることが出来るので重宝しているわけです。

A=430は日本では現在の雅楽の音高で、どれほどの以前からこの音で演奏されていたかは定かではありませんが、735年に遣唐使の吉備真備がふところに忍ばせて持ち帰った「方響(ほうきょう)」の一片がそのもとのになっているのかも知れないですが、わかりません。「方響(ほうきょう)」とは鉄の板を並べて叩いて演奏する楽器です。その一片はいわゆる音叉のかわりになるのです。A=440とか442とかはいわゆる音楽のグローバル化ってやつですね。歴史的にはまだ100年も経ってないですよ。古の中国では面白い話しも多いですが、話しが長くなるので次回にしましょう。

とにかく、13日は「コタン」ライブ、A=430で演奏しますよ。ま
どってことないかなwwww・・・。

 スケジュールに http://akifukakusa.com/2017/10/20171113.html

 

h-onsa-1.jpg

 

 

iphoneの音叉アプリ。
なぜ音叉アプリを使っているかと云えば、私の秦琴の調弦の基本音高がA=430で、その音叉がないからなのです。ミュージシャンのこまかい話しだけれど、ずいぶん以前から、特にクラッシク系の音楽は、A=442あたり、(最近ではもっと高く)が多くなっていて、楽器店で売っている音叉もこのA=442が多くなっています。ましてやA=430のような音の低い音叉はありません。このiphoneの音叉アプリは音高を自在に変えることが出来るので重宝しているわけです。

A=430は日本では現在の雅楽の音高で、どれほどの以前からこの音で演奏されていたかは定かではありませんが、735年に遣唐使の吉備真備がふところに忍ばせて持ち帰った「方響(ほうきょう)」の一片がそのもとのになっているのかも知れないですが、わかりません。「方響(ほうきょう)」とは鉄の板を並べて叩いて演奏する楽器です。その一片はいわゆる音叉のかわりになるのです。A=440とか442とかはいわゆる音楽のグローバル化ってやつですね。歴史的にはまだ100年も経ってないですよ。古の中国では面白い話しも多いですが、話しが長くなるので次回にしましょう。

とにかく、13日は「コタン」ライブ、A=430で演奏しますよ。ま
どってことないかなwwww・・・。

 スケジュールに http://akifukakusa.com/2017/10/20171113.html

 

h-onsa-1.jpg

 

 

スティービーやレイチャールズ、高橋竹山はとりあえずおいといて、盲目の音楽家の最後の投稿に久しぶりに1975年にCBSソニーから発売された三枚組のレコード『越後の瞽女唄』を聞いてみた。越後の瞽女さんは高田瞽女がよく知られているけれど、このレコードに六曲収録されている長岡瞽女唄を最初に聞いた時に、独特のテンポ感が、なんかアフリカのマリかなんかの民族音楽を彷彿させて、僕には聞きやすかった。なんかオフビートに聞こえちゃうんだよね。その中から20分程の長尺の「葛の葉子別れ」を、斉藤慎一氏の画をバックに最初の部分を編集してみた。瞽女さんのことはあえて書かないけれどネットを見れば詳しく知ることが出来ます。

そう云えば『はなれ瞽女おりん』を書いた水上勉氏のワンダーランドとも云うべき若狭にある「若州一滴文庫」の、斉藤慎一氏の画のコレクションは見応えがありますよ。機会あれば是非。私と水上氏との縁は後日また書きましょう。

また、以下のサイトに、このレコードを構成した間章氏の思いが詰まったライナーノーツが載っています。
http://aa-movie.com/afterAA/writing/SODZ1.html

その一部から
『・・・・・今回同行した斉藤真一氏がいみじくも言うように“瞽女は青空と闇をいつも一しょに見つめている”。そして瞽女はさらに常に大地をふみしめている。・・・・・・

・・・・「来たよで戸がなる、出てみりゃ風だよ」、という瞽女唄の一節のように、出てみたとき出会うのがいつも風だけだったとしても、ゆくりなく私は瞽女と出会うことによって見始めた何かをさらに見い出してゆこうと思い続けている。そうした私にとってこの瞽女の唄達がどこかで音や唄との新らしい未知の関係をひらいてくれるかも知れないという未明は一つの可能性として寒くはあるがやさしく存在し続けるのである。 』

 

 

スティービーやレイチャールズ、高橋竹山はとりあえずおいといて、盲目の音楽家の最後の投稿に久しぶりに1975年にCBSソニーから発売された三枚組のレコード『越後の瞽女唄』を聞いてみた。越後の瞽女さんは高田瞽女がよく知られているけれど、このレコードに六曲収録されている長岡瞽女唄を最初に聞いた時に、独特のテンポ感が、なんかアフリカのマリかなんかの民族音楽を彷彿させて、僕には聞きやすかった。なんかオフビートに聞こえちゃうんだよね。その中から20分程の長尺の「葛の葉子別れ」を、斉藤慎一氏の画をバックに最初の部分を編集してみた。瞽女さんのことはあえて書かないけれどネットを見れば詳しく知ることが出来ます。

そう云えば『はなれ瞽女おりん』を書いた水上勉氏のワンダーランドとも云うべき若狭にある「若州一滴文庫」の、斉藤慎一氏の画のコレクションは見応えがありますよ。機会あれば是非。私と水上氏との縁は後日また書きましょう。

また、以下のサイトに、このレコードを構成した間章氏の思いが詰まったライナーノーツが載っています。
http://aa-movie.com/afterAA/writing/SODZ1.html

その一部から
『・・・・・今回同行した斉藤真一氏がいみじくも言うように“瞽女は青空と闇をいつも一しょに見つめている”。そして瞽女はさらに常に大地をふみしめている。・・・・・・

・・・・「来たよで戸がなる、出てみりゃ風だよ」、という瞽女唄の一節のように、出てみたとき出会うのがいつも風だけだったとしても、ゆくりなく私は瞽女と出会うことによって見始めた何かをさらに見い出してゆこうと思い続けている。そうした私にとってこの瞽女の唄達がどこかで音や唄との新らしい未知の関係をひらいてくれるかも知れないという未明は一つの可能性として寒くはあるがやさしく存在し続けるのである。 』

 

 

スティービーやレイチャールズ、高橋竹山はとりあえずおいといて、盲目の音楽家の最後の投稿に久しぶりに1975年にCBSソニーから発売された三枚組のレコード『越後の瞽女唄』を聞いてみた。越後の瞽女さんは高田瞽女がよく知られているけれど、このレコードに六曲収録されている長岡瞽女唄を最初に聞いた時に、独特のテンポ感が、なんかアフリカのマリかなんかの民族音楽を彷彿させて、僕には聞きやすかった。なんかオフビートに聞こえちゃうんだよね。その中から20分程の長尺の「葛の葉子別れ」を、斉藤慎一氏の画をバックに最初の部分を編集してみた。瞽女さんのことはあえて書かないけれどネットを見れば詳しく知ることが出来ます。

そう云えば『はなれ瞽女おりん』を書いた水上勉氏のワンダーランドとも云うべき若狭にある「若州一滴文庫」の、斉藤慎一氏の画のコレクションは見応えがありますよ。機会あれば是非。私と水上氏との縁は後日また書きましょう。

また、以下のサイトに、このレコードを構成した間章氏の思いが詰まったライナーノーツが載っています。
http://aa-movie.com/afterAA/writing/SODZ1.html

その一部から
『・・・・・今回同行した斉藤真一氏がいみじくも言うように“瞽女は青空と闇をいつも一しょに見つめている”。そして瞽女はさらに常に大地をふみしめている。・・・・・・

・・・・「来たよで戸がなる、出てみりゃ風だよ」、という瞽女唄の一節のように、出てみたとき出会うのがいつも風だけだったとしても、ゆくりなく私は瞽女と出会うことによって見始めた何かをさらに見い出してゆこうと思い続けている。そうした私にとってこの瞽女の唄達がどこかで音や唄との新らしい未知の関係をひらいてくれるかも知れないという未明は一つの可能性として寒くはあるがやさしく存在し続けるのである。 』

 

 

『攻防・蜂の巣城』

大分日田市と熊本の小国町にまたがる筑後川上流部の 下筌(しもうけ)ダム建設の際、建設省九州地方建設局に対して、住民が山麓に無数のバラック小屋を建て対抗し、1958年(昭和33年)から最終解決まで 13年を要した反対運動をこう呼んでいる。昨日(11月4日)、BS-TBSで17年前のドキュメンタリー番組を見た。昭和33年から13年というと私は9才から22才 頃までで、こうした社会運動に傾倒している人だったら周知の出来事だろうけれど、当時もまったく知らなかったし、学生時代もノンポリだったので、このド キュメンタリーを見るまで不覚にも私は知らなかった。

反対住民のリーダーは、この地の山林大地主の室原知幸氏で彼は、「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものでなければならない。」といい、建設省九州地方建設局と正面からぶつかった。サイトの言葉を借りれば、まさに基本的人権(私権)と公共事業(公権)との正面からのぶつかり合いだった。結局、 裁判でも負け、小屋は取り壊されダムが出来る訳だけれど、こういった室原氏の姿勢に建設省の九州地方建設局長も敬意をはらい、彼の葬儀には涙して弔辞を呼んだそうだ。

この反対運動は後世の公共事業のありかたに大きな影響を与えているということだが、現状を考えると、人間どうしのお互いの立場への深い理解があり、法にか ない、理にかない、情にかなっているかと云えば、とてもそうは思えない。安倍首相をはじめ昨今の政治家の度量の狭さ、そのうえ心に深みを感じられないこと が、政策もさることながら、国民をイライラさせているような気がするよ。

山麓に建てられた無数のバラック、壮観だね。

h-hati-1.jpg

 

 

『攻防・蜂の巣城』

大分日田市と熊本の小国町にまたがる筑後川上流部の 下筌(しもうけ)ダム建設の際、建設省九州地方建設局に対して、住民が山麓に無数のバラック小屋を建て対抗し、1958年(昭和33年)から最終解決まで 13年を要した反対運動をこう呼んでいる。昨日(11月4日)、BS-TBSで17年前のドキュメンタリー番組を見た。昭和33年から13年というと私は9才から22才 頃までで、こうした社会運動に傾倒している人だったら周知の出来事だろうけれど、当時もまったく知らなかったし、学生時代もノンポリだったので、このド キュメンタリーを見るまで不覚にも私は知らなかった。

反対住民のリーダーは、この地の山林大地主の室原知幸氏で彼は、「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものでなければならない。」といい、建設省九州地方建設局と正面からぶつかった。サイトの言葉を借りれば、まさに基本的人権(私権)と公共事業(公権)との正面からのぶつかり合いだった。結局、 裁判でも負け、小屋は取り壊されダムが出来る訳だけれど、こういった室原氏の姿勢に建設省の九州地方建設局長も敬意をはらい、彼の葬儀には涙して弔辞を呼んだそうだ。

この反対運動は後世の公共事業のありかたに大きな影響を与えているということだが、現状を考えると、人間どうしのお互いの立場への深い理解があり、法にか ない、理にかない、情にかなっているかと云えば、とてもそうは思えない。安倍首相をはじめ昨今の政治家の度量の狭さ、そのうえ心に深みを感じられないこと が、政策もさることながら、国民をイライラさせているような気がするよ。

山麓に建てられた無数のバラック、壮観だね。

h-hati-1.jpg

 

 

『攻防・蜂の巣城』

大分日田市と熊本の小国町にまたがる筑後川上流部の 下筌(しもうけ)ダム建設の際、建設省九州地方建設局に対して、住民が山麓に無数のバラック小屋を建て対抗し、1958年(昭和33年)から最終解決まで 13年を要した反対運動をこう呼んでいる。昨日(11月4日)、BS-TBSで17年前のドキュメンタリー番組を見た。昭和33年から13年というと私は9才から22才 頃までで、こうした社会運動に傾倒している人だったら周知の出来事だろうけれど、当時もまったく知らなかったし、学生時代もノンポリだったので、このド キュメンタリーを見るまで不覚にも私は知らなかった。

反対住民のリーダーは、この地の山林大地主の室原知幸氏で彼は、「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものでなければならない。」といい、建設省九州地方建設局と正面からぶつかった。サイトの言葉を借りれば、まさに基本的人権(私権)と公共事業(公権)との正面からのぶつかり合いだった。結局、 裁判でも負け、小屋は取り壊されダムが出来る訳だけれど、こういった室原氏の姿勢に建設省の九州地方建設局長も敬意をはらい、彼の葬儀には涙して弔辞を呼んだそうだ。

この反対運動は後世の公共事業のありかたに大きな影響を与えているということだが、現状を考えると、人間どうしのお互いの立場への深い理解があり、法にか ない、理にかない、情にかなっているかと云えば、とてもそうは思えない。安倍首相をはじめ昨今の政治家の度量の狭さ、そのうえ心に深みを感じられないこと が、政策もさることながら、国民をイライラさせているような気がするよ。

山麓に建てられた無数のバラック、壮観だね。

h-hati-1.jpg

 

 

ベトナムの盲目の音楽家、Kim-Sinh(キムシン)、たぶん今87才ぐらいと思う。ご存命かな・・・? ベトナムの民族楽器のダン・グエット(đàn nguyệt)や自ら改造したギターやスチールギターなどを自在に操り優しい声でベトナム民謡・民歌を歌っている。少し前にギターデュオ「ゴンチチ」がテレビの企画でベトナムを訪れ、キム・シンとセッションしていた番組があったが、私が彼の音楽を知ったのは、CD『絲夢』を出した頃だから、26年ぐらい前だと思う。当時キングレコードで「世界の民族音楽シリーズ」をプロデュースしていて、世界中の民族音楽を現地録音していた星川京児氏の家で聞いた。その頃、星川氏が企画したイベントで何度か演奏したことがあったので、その打ち合わせの時だったと思う。まだCD化されていないオープンリールテープの音源だったけれど、一聴して彼の音楽に魅了され、私もこんなふうに素直に自在に自身のルーツの音を演奏できるようになりたいと、ちょっと憧れた。それにしても優しい声だね、お国柄かな。複数の楽器が鳴っている曲はすべて彼の多重録音です。

そういえば、20年程前にラジオにゲストで呼ばれて好きな曲をかけてもらうとき、スティービーワンダーのCD『Key Of Life』を持って行ったんだけれど、中身がキム・シンにかわっていた、そのころよく聞いていたから入れ間違えたんだろうね、それでスティービーワンダーのかわりにキム・シンをかけてもらった。キム・シンが日本の公の放送に流れた、多分一番最初なんだろうと思う。

今回、キムシンのことで星川氏のことを調べていたら、彼は昨年肝臓がんで亡くなっていた。享年は63才だった、なんか彼の死を知るために今回の投稿に導かれたのかもしれない、ご冥福を祈りたい。それにしても逝くにはちょっと早いなぁ・・・。

 

 

ベトナムの盲目の音楽家、Kim-Sinh(キムシン)、たぶん今87才ぐらいと思う。ご存命かな・・・? ベトナムの民族楽器のダン・グエット(đàn nguyệt)や自ら改造したギターやスチールギターなどを自在に操り優しい声でベトナム民謡・民歌を歌っている。少し前にギターデュオ「ゴンチチ」がテレビの企画でベトナムを訪れ、キム・シンとセッションしていた番組があったが、私が彼の音楽を知ったのは、CD『絲夢』を出した頃だから、26年ぐらい前だと思う。当時キングレコードで「世界の民族音楽シリーズ」をプロデュースしていて、世界中の民族音楽を現地録音していた星川京児氏の家で聞いた。その頃、星川氏が企画したイベントで何度か演奏したことがあったので、その打ち合わせの時だったと思う。まだCD化されていないオープンリールテープの音源だったけれど、一聴して彼の音楽に魅了され、私もこんなふうに素直に自在に自身のルーツの音を演奏できるようになりたいと、ちょっと憧れた。それにしても優しい声だね、お国柄かな。複数の楽器が鳴っている曲はすべて彼の多重録音です。

そういえば、20年程前にラジオにゲストで呼ばれて好きな曲をかけてもらうとき、スティービーワンダーのCD『Key Of Life』を持って行ったんだけれど、中身がキム・シンにかわっていた、そのころよく聞いていたから入れ間違えたんだろうね、それでスティービーワンダーのかわりにキム・シンをかけてもらった。キム・シンが日本の公の放送に流れた、多分一番最初なんだろうと思う。

今回、キムシンのことで星川氏のことを調べていたら、彼は昨年肝臓がんで亡くなっていた。享年は63才だった、なんか彼の死を知るために今回の投稿に導かれたのかもしれない、ご冥福を祈りたい。それにしても逝くにはちょっと早いなぁ・・・。

 

 

ベトナムの盲目の音楽家、Kim-Sinh(キムシン)、たぶん今87才ぐらいと思う。ご存命かな・・・? ベトナムの民族楽器のダン・グエット(đàn nguyệt)や自ら改造したギターやスチールギターなどを自在に操り優しい声でベトナム民謡・民歌を歌っている。少し前にギターデュオ「ゴンチチ」がテレビの企画でベトナムを訪れ、キム・シンとセッションしていた番組があったが、私が彼の音楽を知ったのは、CD『絲夢』を出した頃だから、26年ぐらい前だと思う。当時キングレコードで「世界の民族音楽シリーズ」をプロデュースしていて、世界中の民族音楽を現地録音していた星川京児氏の家で聞いた。その頃、星川氏が企画したイベントで何度か演奏したことがあったので、その打ち合わせの時だったと思う。まだCD化されていないオープンリールテープの音源だったけれど、一聴して彼の音楽に魅了され、私もこんなふうに素直に自在に自身のルーツの音を演奏できるようになりたいと、ちょっと憧れた。それにしても優しい声だね、お国柄かな。複数の楽器が鳴っている曲はすべて彼の多重録音です。

そういえば、20年程前にラジオにゲストで呼ばれて好きな曲をかけてもらうとき、スティービーワンダーのCD『Key Of Life』を持って行ったんだけれど、中身がキム・シンにかわっていた、そのころよく聞いていたから入れ間違えたんだろうね、それでスティービーワンダーのかわりにキム・シンをかけてもらった。キム・シンが日本の公の放送に流れた、多分一番最初なんだろうと思う。

今回、キムシンのことで星川氏のことを調べていたら、彼は昨年肝臓がんで亡くなっていた。享年は63才だった、なんか彼の死を知るために今回の投稿に導かれたのかもしれない、ご冥福を祈りたい。それにしても逝くにはちょっと早いなぁ・・・。

 

 

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 7.906.2

このアーカイブについて

このページには、2017年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2017年10月です。

次のアーカイブは2017年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。