2023年5月アーカイブ

吉祥寺をうろついてはや55年近く。20歳過ぎの頃、初めて今の奥さんと駅前の喫茶店で待ち合わせた、3時間以上待っても彼女は来なかった、しかし僕は待っていた、もしそこですれ違っていたら、名前も住所も知らない彼女は東京のジャングルの中に消えて行って、二度と会えなかった。

不思議なことに、3時間も遅れたのに彼女は喫茶店に現れたのだ、何故か僕も待っていた。これから僕らの物語は始まりました。

この当時は「ハモニカ横丁」なんて名前じゃあなかったですね。最近ですよ。駅前の路地は再開発もされずもはや吉祥寺の名物ですね。

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吉祥寺をうろついてはや55年近く。20歳過ぎの頃、初めて今の奥さんと駅前の喫茶店で待ち合わせた、3時間以上待っても彼女は来なかった、しかし僕は待っていた、もしそこですれ違っていたら、名前も住所も知らない彼女は東京のジャングルの中に消えて行って、二度と会えなかった。

不思議なことに、3時間も遅れたのに彼女は喫茶店に現れたのだ、何故か僕も待っていた。これから僕らの物語は始まりました。

この当時は「ハモニカ横丁」なんて名前じゃあなかったですね。最近ですよ。駅前の路地は再開発もされずもはや吉祥寺の名物ですね。

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吉祥寺をうろついてはや55年近く。20歳過ぎの頃、初めて今の奥さんと駅前の喫茶店で待ち合わせた、3時間以上待っても彼女は来なかった、しかし僕は待っていた、もしそこですれ違っていたら、名前も住所も知らない彼女は東京のジャングルの中に消えて行って、二度と会えなかった。

不思議なことに、3時間も遅れたのに彼女は喫茶店に現れたのだ、何故か僕も待っていた。これから僕らの物語は始まりました。

この当時は「ハモニカ横丁」なんて名前じゃあなかったですね。最近ですよ。駅前の路地は再開発もされずもはや吉祥寺の名物ですね。

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空は一面の雲で覆われ、街には風がふいて、紫陽花が美しい。

心は、ときには忘れ、ときには見失う。昔の曲を聞きながらしばしの瞑想のなかで落とした心を拾い集めてる。

----------------------------------

「空見上げれば沙羅の糸」1996年

深草アキ、春間げん、安ヵ川大樹、甲斐いつろう。

 

 

空は一面の雲で覆われ、街には風がふいて、紫陽花が美しい。

心は、ときには忘れ、ときには見失う。昔の曲を聞きながらしばしの瞑想のなかで落とした心を拾い集めてる。

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「空見上げれば沙羅の糸」1996年

深草アキ、春間げん、安ヵ川大樹、甲斐いつろう。

 

 

空は一面の雲で覆われ、街には風がふいて、紫陽花が美しい。

心は、ときには忘れ、ときには見失う。昔の曲を聞きながらしばしの瞑想のなかで落とした心を拾い集めてる。

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「空見上げれば沙羅の糸」1996年

深草アキ、春間げん、安ヵ川大樹、甲斐いつろう。

 

 

「てぃんさぐぬ花」の後にまた沖縄の曲、与那国島の子守唄「ハララルディー」。

コロナの前のコタンライブ、ジャンベは甲斐いつろう氏です。彼ともコロナになってからまったく会ってないね。

 

「てぃんさぐぬ花」の後にまた沖縄の曲、与那国島の子守唄「ハララルディー」。

コロナの前のコタンライブ、ジャンベは甲斐いつろう氏です。彼ともコロナになってからまったく会ってないね。

 

「てぃんさぐぬ花」の後にまた沖縄の曲、与那国島の子守唄「ハララルディー」。

コロナの前のコタンライブ、ジャンベは甲斐いつろう氏です。彼ともコロナになってからまったく会ってないね。

 

『てぃんさぐぬ花』、歌:井上真喜、秦琴:深草アキ

てぃんさぐぬ花はホウセンカ(鳳仙花)のことですが、なかなか現実的な「教え」の歌詞ですね。十番までありますが、ここでは歌は六番までです。

2009年、病床に臥せっていたプロデューサーの故・木下一郎氏を励ますために友人知人が集まってCDを作りましたが、そのなかの一曲です。歌は木下さんの友人で沖縄に移住した井上真喜さんです

 

以下に歌詞の訳 wikiより

一、
ホウセンカの花は
爪先に染めて
親の教訓は
心に染みなさい

二、
天上に群れる星は
数えれば数え切れても
親の教訓は
数え切れないものだ

三、
夜に走らせる船は
北極星を見つけ
私を生んだ親は
私をこそ見つける

四、
宝玉であっても
磨かなければ錆びる
朝夕と心を磨いて
浮世を渡ろう

五、
正直な人は
後々のいつまでも
希望は叶えられ
末永く栄える

六、
何事も為せば
成るものだが
為さぬせいだからこそ
成らないだろう

七、
行き届かないことは
互いに助け合って
互いに補い合ってこそ
歳をとる

八、
有っても喜ぶな
失っても嘆くな
人の善し悪しは
後々にこそわかる

九、
栄えていく時に
謙虚さを忘れてはならない
よく実るほど稲穂は(垂れて)
あぜ道を枕にするように

十、
老人の朝夕の言には
真摯に耳を傾けなさい
老い先短い者の与太話などと
侮るべきではない

 

『てぃんさぐぬ花』、歌:井上真喜、秦琴:深草アキ

てぃんさぐぬ花はホウセンカ(鳳仙花)のことですが、なかなか現実的な「教え」の歌詞ですね。十番までありますが、ここでは歌は六番までです。

2009年、病床に臥せっていたプロデューサーの故・木下一郎氏を励ますために友人知人が集まってCDを作りましたが、そのなかの一曲です。歌は木下さんの友人で沖縄に移住した井上真喜さんです

 

以下に歌詞の訳 wikiより

一、
ホウセンカの花は
爪先に染めて
親の教訓は
心に染みなさい

二、
天上に群れる星は
数えれば数え切れても
親の教訓は
数え切れないものだ

三、
夜に走らせる船は
北極星を見つけ
私を生んだ親は
私をこそ見つける

四、
宝玉であっても
磨かなければ錆びる
朝夕と心を磨いて
浮世を渡ろう

五、
正直な人は
後々のいつまでも
希望は叶えられ
末永く栄える

六、
何事も為せば
成るものだが
為さぬせいだからこそ
成らないだろう

七、
行き届かないことは
互いに助け合って
互いに補い合ってこそ
歳をとる

八、
有っても喜ぶな
失っても嘆くな
人の善し悪しは
後々にこそわかる

九、
栄えていく時に
謙虚さを忘れてはならない
よく実るほど稲穂は(垂れて)
あぜ道を枕にするように

十、
老人の朝夕の言には
真摯に耳を傾けなさい
老い先短い者の与太話などと
侮るべきではない

 

『てぃんさぐぬ花』、歌:井上真喜、秦琴:深草アキ

てぃんさぐぬ花はホウセンカ(鳳仙花)のことですが、なかなか現実的な「教え」の歌詞ですね。十番までありますが、ここでは歌は六番までです。

2009年、病床に臥せっていたプロデューサーの故・木下一郎氏を励ますために友人知人が集まってCDを作りましたが、そのなかの一曲です。歌は木下さんの友人で沖縄に移住した井上真喜さんです

 

以下に歌詞の訳 wikiより

一、
ホウセンカの花は
爪先に染めて
親の教訓は
心に染みなさい

二、
天上に群れる星は
数えれば数え切れても
親の教訓は
数え切れないものだ

三、
夜に走らせる船は
北極星を見つけ
私を生んだ親は
私をこそ見つける

四、
宝玉であっても
磨かなければ錆びる
朝夕と心を磨いて
浮世を渡ろう

五、
正直な人は
後々のいつまでも
希望は叶えられ
末永く栄える

六、
何事も為せば
成るものだが
為さぬせいだからこそ
成らないだろう

七、
行き届かないことは
互いに助け合って
互いに補い合ってこそ
歳をとる

八、
有っても喜ぶな
失っても嘆くな
人の善し悪しは
後々にこそわかる

九、
栄えていく時に
謙虚さを忘れてはならない
よく実るほど稲穂は(垂れて)
あぜ道を枕にするように

十、
老人の朝夕の言には
真摯に耳を傾けなさい
老い先短い者の与太話などと
侮るべきではない

 

五弦琵琶とか老秦琴とか弦楽器の繋がりで伝説の弦楽器「絃鞉」にを取り上げてみます。御託がちょっと長いですよww。曲は『絃鼗三日月』(CD 満月の滑空)です。

梁・沈約の『宋書』の中に、三国・魏の杜摯(字德魯、生没不詳、255年頃没)の言として「絃鞉(げんとう)」と云う言葉が初めて現れる。以下のように記されている。
—————————-
……杜摯云、長城之役、絃鼗而鼓之 (…..杜摯の云うには、長城の労役の時、絃鼗を弾いていたと)

また、『初学記』徐堅(659〜729)に引く、『古今楽録』(佚書)には次のように記されている。
智匠「古今樂録」日、琵琶出於絃鼗:杜摯以為、興之秦末、蓋苦長城役、百姓絃鼗而鼓 (智匠の「古今樂録」に曰く、琵琶は絃鼗から出ている:杜摯は秦末に興ったとしている。思うに長城の労役に苦しみ農民が「絃鼗」を弾いていたのである)
—————————

ここに書いている琵琶は楽琵琶や薩摩琵琶のような楽器ではなく、円形の胴体に棹があり柱(フレット)が12個あまりついている阮咸や秦琴の祖先のような楽器ですね。

また、明の潘之恒もその著作『亘史鈔』において、「絃鞉―即今之三絃 為張聘夫作」と題した一編を書き、清初の学者、毛奇齢(字大可又は斉宇、1623〜1716)の『西河詩話』中の「三絃」の記述は潘之恒から着想を得たものである可能性が強い。

とにかくこのような文章を根拠に、古の音楽学者も昨今の学者も、阮咸や三弦(秦琴もふくめて)などの楽器は「絃鼗」が源流であるとする説をとっていることが多い。

しかし当の「絃鼗」なる楽器の壁画や画像塼(がぞうせん)などの実際の事例が一つも見当たらない。

今のところは、紀元前2、3世紀ごろシルクロードの交易を担っていた月氏の民がもたらした楽器かもしれないというような、ロマンと伝説の楽器にしておくのが順当かもしれない。

詳しくは私の拙稿「潘之恒における『絃鞉〜三絃源流説』」(東洋音楽研究 第77号)を参照してください。
論文 http://akifukakusa.com/note/note-toyoongakugakukai.pdf
論文集サイト http://akifukakusa.com/note/ronbun.html

そんな「絃鼗」に思いを馳せた曲『絃鼗三日月』です。CD「満月の滑空」から。

 

 

五弦琵琶とか老秦琴とか弦楽器の繋がりで伝説の弦楽器「絃鞉」にを取り上げてみます。御託がちょっと長いですよww。曲は『絃鼗三日月』(CD 満月の滑空)です。

梁・沈約の『宋書』の中に、三国・魏の杜摯(字德魯、生没不詳、255年頃没)の言として「絃鞉(げんとう)」と云う言葉が初めて現れる。以下のように記されている。
—————————-
……杜摯云、長城之役、絃鼗而鼓之 (…..杜摯の云うには、長城の労役の時、絃鼗を弾いていたと)

また、『初学記』徐堅(659〜729)に引く、『古今楽録』(佚書)には次のように記されている。
智匠「古今樂録」日、琵琶出於絃鼗:杜摯以為、興之秦末、蓋苦長城役、百姓絃鼗而鼓 (智匠の「古今樂録」に曰く、琵琶は絃鼗から出ている:杜摯は秦末に興ったとしている。思うに長城の労役に苦しみ農民が「絃鼗」を弾いていたのである)
—————————

ここに書いている琵琶は楽琵琶や薩摩琵琶のような楽器ではなく、円形の胴体に棹があり柱(フレット)が12個あまりついている阮咸や秦琴の祖先のような楽器ですね。

また、明の潘之恒もその著作『亘史鈔』において、「絃鞉―即今之三絃 為張聘夫作」と題した一編を書き、清初の学者、毛奇齢(字大可又は斉宇、1623〜1716)の『西河詩話』中の「三絃」の記述は潘之恒から着想を得たものである可能性が強い。

とにかくこのような文章を根拠に、古の音楽学者も昨今の学者も、阮咸や三弦(秦琴もふくめて)などの楽器は「絃鼗」が源流であるとする説をとっていることが多い。

しかし当の「絃鼗」なる楽器の壁画や画像塼(がぞうせん)などの実際の事例が一つも見当たらない。

今のところは、紀元前2、3世紀ごろシルクロードの交易を担っていた月氏の民がもたらした楽器かもしれないというような、ロマンと伝説の楽器にしておくのが順当かもしれない。

詳しくは私の拙稿「潘之恒における『絃鞉〜三絃源流説』」(東洋音楽研究 第77号)を参照してください。
論文 http://akifukakusa.com/note/note-toyoongakugakukai.pdf
論文集サイト http://akifukakusa.com/note/ronbun.html

そんな「絃鼗」に思いを馳せた曲『絃鼗三日月』です。CD「満月の滑空」から。

 

 

五弦琵琶とか老秦琴とか弦楽器の繋がりで伝説の弦楽器「絃鞉」にを取り上げてみます。御託がちょっと長いですよww。曲は『絃鼗三日月』(CD 満月の滑空)です。

梁・沈約の『宋書』の中に、三国・魏の杜摯(字德魯、生没不詳、255年頃没)の言として「絃鞉(げんとう)」と云う言葉が初めて現れる。以下のように記されている。
—————————-
……杜摯云、長城之役、絃鼗而鼓之 (…..杜摯の云うには、長城の労役の時、絃鼗を弾いていたと)

また、『初学記』徐堅(659〜729)に引く、『古今楽録』(佚書)には次のように記されている。
智匠「古今樂録」日、琵琶出於絃鼗:杜摯以為、興之秦末、蓋苦長城役、百姓絃鼗而鼓 (智匠の「古今樂録」に曰く、琵琶は絃鼗から出ている:杜摯は秦末に興ったとしている。思うに長城の労役に苦しみ農民が「絃鼗」を弾いていたのである)
—————————

ここに書いている琵琶は楽琵琶や薩摩琵琶のような楽器ではなく、円形の胴体に棹があり柱(フレット)が12個あまりついている阮咸や秦琴の祖先のような楽器ですね。

また、明の潘之恒もその著作『亘史鈔』において、「絃鞉―即今之三絃 為張聘夫作」と題した一編を書き、清初の学者、毛奇齢(字大可又は斉宇、1623〜1716)の『西河詩話』中の「三絃」の記述は潘之恒から着想を得たものである可能性が強い。

とにかくこのような文章を根拠に、古の音楽学者も昨今の学者も、阮咸や三弦(秦琴もふくめて)などの楽器は「絃鼗」が源流であるとする説をとっていることが多い。

しかし当の「絃鼗」なる楽器の壁画や画像塼(がぞうせん)などの実際の事例が一つも見当たらない。

今のところは、紀元前2、3世紀ごろシルクロードの交易を担っていた月氏の民がもたらした楽器かもしれないというような、ロマンと伝説の楽器にしておくのが順当かもしれない。

詳しくは私の拙稿「潘之恒における『絃鞉〜三絃源流説』」(東洋音楽研究 第77号)を参照してください。
論文 http://akifukakusa.com/note/note-toyoongakugakukai.pdf
論文集サイト http://akifukakusa.com/note/ronbun.html

そんな「絃鼗」に思いを馳せた曲『絃鼗三日月』です。CD「満月の滑空」から。

 

 

「老秦琴」といってもいいような古い秦琴。いつも弾いている秦琴とは異なり、1オクターブにフレットが7個しか付いておらず、半音がないのでタイ音楽の7平均律のような独特の響きがある。In my roomで弾こうと思いつつ全然弾いてないですね。というかIn my roomの演奏もついぞご無沙汰です。

そろそろ倉庫整理、機材の音チェックなんかしようかなと思った矢先にちょっと風邪気味になって動けない。7月に友人の個展で生音で弾くのをきっかけにボチボチ活動をし始めようかなと、思いだけはあるんだけどね。

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「老秦琴」といってもいいような古い秦琴。いつも弾いている秦琴とは異なり、1オクターブにフレットが7個しか付いておらず、半音がないのでタイ音楽の7平均律のような独特の響きがある。In my roomで弾こうと思いつつ全然弾いてないですね。というかIn my roomの演奏もついぞご無沙汰です。

そろそろ倉庫整理、機材の音チェックなんかしようかなと思った矢先にちょっと風邪気味になって動けない。7月に友人の個展で生音で弾くのをきっかけにボチボチ活動をし始めようかなと、思いだけはあるんだけどね。

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「老秦琴」といってもいいような古い秦琴。いつも弾いている秦琴とは異なり、1オクターブにフレットが7個しか付いておらず、半音がないのでタイ音楽の7平均律のような独特の響きがある。In my roomで弾こうと思いつつ全然弾いてないですね。というかIn my roomの演奏もついぞご無沙汰です。

そろそろ倉庫整理、機材の音チェックなんかしようかなと思った矢先にちょっと風邪気味になって動けない。7月に友人の個展で生音で弾くのをきっかけにボチボチ活動をし始めようかなと、思いだけはあるんだけどね。

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正倉院所蔵の「五弦琵琶」は当時実際に演奏されていたのだろうか。バチがあたっている痕跡が無いようなので飾りだったのかもしれない。ま、こんな素晴らしい装飾の楽器はおいそれとは弾けませんよね。

当の中国では、唐・貞元(ていげん 785〜804)に趙璧(ちょうへき)と云う「五絃琵琶」の名手がいましたが、この人は、五絃が自分なのか自分が五絃なのか判らないと言ってました。楽器と一体化していたんですね。ただ伝統的な古琴のようにゆったりとした音楽が好みの文人にはあまり好まれなかったようですね。たぶん「五弦琵琶」はリズミカルに演奏されていたんでしょう。

「五つの転手」を再編集しました。転手(てんじゅ)は糸巻きのことですね。五絃琵琶の転手です。

五弦琵琶の基本的なことはこちら
https://akifukakusa.com/blog2/2010/11/post-4.html

 

 

正倉院所蔵の「五弦琵琶」は当時実際に演奏されていたのだろうか。バチがあたっている痕跡が無いようなので飾りだったのかもしれない。ま、こんな素晴らしい装飾の楽器はおいそれとは弾けませんよね。

当の中国では、唐・貞元(ていげん 785〜804)に趙璧(ちょうへき)と云う「五絃琵琶」の名手がいましたが、この人は、五絃が自分なのか自分が五絃なのか判らないと言ってました。楽器と一体化していたんですね。ただ伝統的な古琴のようにゆったりとした音楽が好みの文人にはあまり好まれなかったようですね。たぶん「五弦琵琶」はリズミカルに演奏されていたんでしょう。

「五つの転手」を再編集しました。転手(てんじゅ)は糸巻きのことですね。五絃琵琶の転手です。

五弦琵琶の基本的なことはこちら
https://akifukakusa.com/blog2/2010/11/post-4.html

 

 

正倉院所蔵の「五弦琵琶」は当時実際に演奏されていたのだろうか。バチがあたっている痕跡が無いようなので飾りだったのかもしれない。ま、こんな素晴らしい装飾の楽器はおいそれとは弾けませんよね。

当の中国では、唐・貞元(ていげん 785〜804)に趙璧(ちょうへき)と云う「五絃琵琶」の名手がいましたが、この人は、五絃が自分なのか自分が五絃なのか判らないと言ってました。楽器と一体化していたんですね。ただ伝統的な古琴のようにゆったりとした音楽が好みの文人にはあまり好まれなかったようですね。たぶん「五弦琵琶」はリズミカルに演奏されていたんでしょう。

「五つの転手」を再編集しました。転手(てんじゅ)は糸巻きのことですね。五絃琵琶の転手です。

五弦琵琶の基本的なことはこちら
https://akifukakusa.com/blog2/2010/11/post-4.html

 

 

いつも秦琴の修理を頼んでいた三味線関係の職人さんが東京から静岡に移った後も静岡まで通って修理を頼んでいたけど、少し前に彼は仕事をやめちゃった。僕と同い年なんだけど、あー残念!

微妙な修理なので結局自分で直すしかないですね。

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いつも秦琴の修理を頼んでいた三味線関係の職人さんが東京から静岡に移った後も静岡まで通って修理を頼んでいたけど、少し前に彼は仕事をやめちゃった。僕と同い年なんだけど、あー残念!

微妙な修理なので結局自分で直すしかないですね。

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いつも秦琴の修理を頼んでいた三味線関係の職人さんが東京から静岡に移った後も静岡まで通って修理を頼んでいたけど、少し前に彼は仕事をやめちゃった。僕と同い年なんだけど、あー残念!

微妙な修理なので結局自分で直すしかないですね。

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奥さんが「母の日」に息子夫婦からもらった花を飾った。

短冊は義父の句「短日や日めくりの残り日数ふ」、親子の共演かな。僕としてはまだ残り日は数えない。

パラッと落ちた花びらを仏壇にも飾った。

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奥さんが「母の日」に息子夫婦からもらった花を飾った。

短冊は義父の句「短日や日めくりの残り日数ふ」、親子の共演かな。僕としてはまだ残り日は数えない。

パラッと落ちた花びらを仏壇にも飾った。

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奥さんが「母の日」に息子夫婦からもらった花を飾った。

短冊は義父の句「短日や日めくりの残り日数ふ」、親子の共演かな。僕としてはまだ残り日は数えない。

パラッと落ちた花びらを仏壇にも飾った。

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邦楽器絃製造会社「丸三ハシモト」さんから秦琴の糸が届いた(六年前の投稿の写真です)。秦琴の糸はこのように丸まって一本一本紙縒りで締められて送られて来るのです。秦琴のメロディーを紡ぎ出す一番細い「三の糸」を特注製作してもらっています。

1997年に、婦人雑誌「家庭画報」に秦琴の絹糸のことが取り上げられそのとき、琵琶湖・木之本町の邦楽器絃製造会社「丸三ハシモト」さんに担当の方と一緒に伺いました。それ以来「三の糸」を特注製作して頂き、現在まで25年以上、秦琴の音色は「丸三ハシモト」さんの糸の音なのですよ。糸の特注製作はなかなかむつかしく本当に嬉しいかぎりです。ありがとうございます。

これからも、もうちょっと踏んばっていい音色を奏でてゆきたいです。

1997年「家庭画報」11月号
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/199711.html

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邦楽器絃製造会社「丸三ハシモト」さんから秦琴の糸が届いた(六年前の投稿の写真です)。秦琴の糸はこのように丸まって一本一本紙縒りで締められて送られて来るのです。秦琴のメロディーを紡ぎ出す一番細い「三の糸」を特注製作してもらっています。

1997年に、婦人雑誌「家庭画報」に秦琴の絹糸のことが取り上げられそのとき、琵琶湖・木之本町の邦楽器絃製造会社「丸三ハシモト」さんに担当の方と一緒に伺いました。それ以来「三の糸」を特注製作して頂き、現在まで25年以上、秦琴の音色は「丸三ハシモト」さんの糸の音なのですよ。糸の特注製作はなかなかむつかしく本当に嬉しいかぎりです。ありがとうございます。

これからも、もうちょっと踏んばっていい音色を奏でてゆきたいです。

1997年「家庭画報」11月号
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/199711.html

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邦楽器絃製造会社「丸三ハシモト」さんから秦琴の糸が届いた(六年前の投稿の写真です)。秦琴の糸はこのように丸まって一本一本紙縒りで締められて送られて来るのです。秦琴のメロディーを紡ぎ出す一番細い「三の糸」を特注製作してもらっています。

1997年に、婦人雑誌「家庭画報」に秦琴の絹糸のことが取り上げられそのとき、琵琶湖・木之本町の邦楽器絃製造会社「丸三ハシモト」さんに担当の方と一緒に伺いました。それ以来「三の糸」を特注製作して頂き、現在まで25年以上、秦琴の音色は「丸三ハシモト」さんの糸の音なのですよ。糸の特注製作はなかなかむつかしく本当に嬉しいかぎりです。ありがとうございます。

これからも、もうちょっと踏んばっていい音色を奏でてゆきたいです。

1997年「家庭画報」11月号
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/199711.html

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民族性はもちろん音楽にも現れるけれど、様々な形にも現れてくる。例えば、僕等がスエーデェンとデンマーク、ノルウエーの街並の違いがよく判らないように、中国と韓国そして日本のお寺の違いは欧米人にはよく判らないかも知れない。

写真の左がドイツ・Bauer社(バウアー)の「Bauer 88-B(1954年)」、右がオーストリア・Eumig社(オイミッヒ)の「Eumig C-3(1955年)」。ドイツもオーストリアも共にゲルマン民族だけど当然様々な違いがある。こんな小さな8mmカメラでも当の国の人だったら、こっちがドイツでこっちがオーストリアって、なんとなくその違いを感じるかもしれないけれど僕にはさっぱり判らない。

お国柄というか民族性というか、同時期の1955年(昭和30年)に瓜生精機が日本最初のダブル8mmカメラを製造したんだけれど、その形を見るともっとシンプルですっきりしているね。

二十世紀初頭に始まったBauer社もEumig社も今は二社ともになくなっている。ちなみにこれが国産初の瓜生精機ダブル8mmカメラ「Cinemax 8」
https://akifukakusa.com/blog2/2022/10/8mm-1.html

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民族性はもちろん音楽にも現れるけれど、様々な形にも現れてくる。例えば、僕等がスエーデェンとデンマーク、ノルウエーの街並の違いがよく判らないように、中国と韓国そして日本のお寺の違いは欧米人にはよく判らないかも知れない。

写真の左がドイツ・Bauer社(バウアー)の「Bauer 88-B(1954年)」、右がオーストリア・Eumig社(オイミッヒ)の「Eumig C-3(1955年)」。ドイツもオーストリアも共にゲルマン民族だけど当然様々な違いがある。こんな小さな8mmカメラでも当の国の人だったら、こっちがドイツでこっちがオーストリアって、なんとなくその違いを感じるかもしれないけれど僕にはさっぱり判らない。

お国柄というか民族性というか、同時期の1955年(昭和30年)に瓜生精機が日本最初のダブル8mmカメラを製造したんだけれど、その形を見るともっとシンプルですっきりしているね。

二十世紀初頭に始まったBauer社もEumig社も今は二社ともになくなっている。ちなみにこれが国産初の瓜生精機ダブル8mmカメラ「Cinemax 8」
https://akifukakusa.com/blog2/2022/10/8mm-1.html

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民族性はもちろん音楽にも現れるけれど、様々な形にも現れてくる。例えば、僕等がスエーデェンとデンマーク、ノルウエーの街並の違いがよく判らないように、中国と韓国そして日本のお寺の違いは欧米人にはよく判らないかも知れない。

写真の左がドイツ・Bauer社(バウアー)の「Bauer 88-B(1954年)」、右がオーストリア・Eumig社(オイミッヒ)の「Eumig C-3(1955年)」。ドイツもオーストリアも共にゲルマン民族だけど当然様々な違いがある。こんな小さな8mmカメラでも当の国の人だったら、こっちがドイツでこっちがオーストリアって、なんとなくその違いを感じるかもしれないけれど僕にはさっぱり判らない。

お国柄というか民族性というか、同時期の1955年(昭和30年)に瓜生精機が日本最初のダブル8mmカメラを製造したんだけれど、その形を見るともっとシンプルですっきりしているね。

二十世紀初頭に始まったBauer社もEumig社も今は二社ともになくなっている。ちなみにこれが国産初の瓜生精機ダブル8mmカメラ「Cinemax 8」
https://akifukakusa.com/blog2/2022/10/8mm-1.html

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この美しい景色は写真なんかには収まらない、とか、写真によってまた別な美的要素が醸し出されることもあるとか、いろいろあるけれど、、、

イタリア出身の翻訳家・詩人であるFederico Italiano氏が撮った「石油プラットフォーム」の写真、仕事は過酷だけど、美しい! パソコンの大きな画面で見ると迫力ありますよー。

彼のサイトからダウンロードしたので著作権で削除されるかも、、。

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この美しい景色は写真なんかには収まらない、とか、写真によってまた別な美的要素が醸し出されることもあるとか、いろいろあるけれど、、、

イタリア出身の翻訳家・詩人であるFederico Italiano氏が撮った「石油プラットフォーム」の写真、仕事は過酷だけど、美しい! パソコンの大きな画面で見ると迫力ありますよー。

彼のサイトからダウンロードしたので著作権で削除されるかも、、。

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この美しい景色は写真なんかには収まらない、とか、写真によってまた別な美的要素が醸し出されることもあるとか、いろいろあるけれど、、、

イタリア出身の翻訳家・詩人であるFederico Italiano氏が撮った「石油プラットフォーム」の写真、仕事は過酷だけど、美しい! パソコンの大きな画面で見ると迫力ありますよー。

彼のサイトからダウンロードしたので著作権で削除されるかも、、。

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糸が届いた。秦琴の糸は太い方から、一の糸、二の糸、三の糸、又は、老絃、中絃、子絃、と言います。子絃は木本町の「丸三ハシモト」さん特注の13の2です。中絃と老絃は京都「鳥羽屋」さんの既製品の17の1と24の1ですね。銀付き特上の糸です。

三味線の絹糸はいろんなゲージ(太さ)があって、その太さを表すには重さの匁(もんめ)を用います。13とか17とか24とかはそのモンメの数字です。例えば「17の1」は17匁の重さの原糸から五十本取った糸、「24の1」は24匁の原糸から五十本取った糸、また、「13の2」は13匁の原糸から百本取った糸、というわけです。

糸の太さはこのように匁で統一されているので、糸の製作メーカーが異なっても、その糸の数字が同じなら太さも同じになるのです。秦琴の糸は三味線の絹糸からいろいろ太さを選んで使用しているのです。日本の絹糸絃はアジアで一番です、ということは「世界一」ということですね。

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糸が届いた。秦琴の糸は太い方から、一の糸、二の糸、三の糸、又は、老絃、中絃、子絃、と言います。子絃は木本町の「丸三ハシモト」さん特注の13の2です。中絃と老絃は京都「鳥羽屋」さんの既製品の17の1と24の1ですね。銀付き特上の糸です。

三味線の絹糸はいろんなゲージ(太さ)があって、その太さを表すには重さの匁(もんめ)を用います。13とか17とか24とかはそのモンメの数字です。例えば「17の1」は17匁の重さの原糸から五十本取った糸、「24の1」は24匁の原糸から五十本取った糸、また、「13の2」は13匁の原糸から百本取った糸、というわけです。

糸の太さはこのように匁で統一されているので、糸の製作メーカーが異なっても、その糸の数字が同じなら太さも同じになるのです。秦琴の糸は三味線の絹糸からいろいろ太さを選んで使用しているのです。日本の絹糸絃はアジアで一番です、ということは「世界一」ということですね。

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糸が届いた。秦琴の糸は太い方から、一の糸、二の糸、三の糸、又は、老絃、中絃、子絃、と言います。子絃は木本町の「丸三ハシモト」さん特注の13の2です。中絃と老絃は京都「鳥羽屋」さんの既製品の17の1と24の1ですね。銀付き特上の糸です。

三味線の絹糸はいろんなゲージ(太さ)があって、その太さを表すには重さの匁(もんめ)を用います。13とか17とか24とかはそのモンメの数字です。例えば「17の1」は17匁の重さの原糸から五十本取った糸、「24の1」は24匁の原糸から五十本取った糸、また、「13の2」は13匁の原糸から百本取った糸、というわけです。

糸の太さはこのように匁で統一されているので、糸の製作メーカーが異なっても、その糸の数字が同じなら太さも同じになるのです。秦琴の糸は三味線の絹糸からいろいろ太さを選んで使用しているのです。日本の絹糸絃はアジアで一番です、ということは「世界一」ということですね。

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1940年に発売された8mmカメラ「Revere 8 Model 88」。なんかネモ船長のノーチラス号に格納されている一人乗りの海底探査機のようなデザインだなぁ。ここに直径5センチほどの小さなリール(スプール)が上下に二つ入る。

Revere Camera Company(リビュア)はウクライナ移民のSamuel Briskinによって1920年代初頭にシカゴで設立され、1939年に8mmムービーカメラの製造を開始したそうです。

1950年代には、レンズとシャッターの仕入れ先であったウォレンサック(Wollensak Optical Company)を買収し、米国で2番目に大きな小型ムービーカメラメーカーだったようです。一番はコダックかベルハウエルかな? しかし結局、1960年に3M Companyに会社を売却しました。

年寄りなら二つ持ってダンベル替わりになりそうな鉄の塊のような躯体だけど、ウォレンサックのオールドレンズも健在でフィルムがあればまだまだ撮影できそうです。

ほとんどの人が関心の無い8mmカメラのことでしたw

Revere Camera Company のことを詳しく知りたい方はこちらの「シカゴ博物館」のサイトへ。以下https://www.madeinchicagomuseum.com/single-post/revere-camera-co/

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1940年に発売された8mmカメラ「Revere 8 Model 88」。なんかネモ船長のノーチラス号に格納されている一人乗りの海底探査機のようなデザインだなぁ。ここに直径5センチほどの小さなリール(スプール)が上下に二つ入る。

Revere Camera Company(リビュア)はウクライナ移民のSamuel Briskinによって1920年代初頭にシカゴで設立され、1939年に8mmムービーカメラの製造を開始したそうです。

1950年代には、レンズとシャッターの仕入れ先であったウォレンサック(Wollensak Optical Company)を買収し、米国で2番目に大きな小型ムービーカメラメーカーだったようです。一番はコダックかベルハウエルかな? しかし結局、1960年に3M Companyに会社を売却しました。

年寄りなら二つ持ってダンベル替わりになりそうな鉄の塊のような躯体だけど、ウォレンサックのオールドレンズも健在でフィルムがあればまだまだ撮影できそうです。

ほとんどの人が関心の無い8mmカメラのことでしたw

Revere Camera Company のことを詳しく知りたい方はこちらの「シカゴ博物館」のサイトへ。以下https://www.madeinchicagomuseum.com/single-post/revere-camera-co/

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1940年に発売された8mmカメラ「Revere 8 Model 88」。なんかネモ船長のノーチラス号に格納されている一人乗りの海底探査機のようなデザインだなぁ。ここに直径5センチほどの小さなリール(スプール)が上下に二つ入る。

Revere Camera Company(リビュア)はウクライナ移民のSamuel Briskinによって1920年代初頭にシカゴで設立され、1939年に8mmムービーカメラの製造を開始したそうです。

1950年代には、レンズとシャッターの仕入れ先であったウォレンサック(Wollensak Optical Company)を買収し、米国で2番目に大きな小型ムービーカメラメーカーだったようです。一番はコダックかベルハウエルかな? しかし結局、1960年に3M Companyに会社を売却しました。

年寄りなら二つ持ってダンベル替わりになりそうな鉄の塊のような躯体だけど、ウォレンサックのオールドレンズも健在でフィルムがあればまだまだ撮影できそうです。

ほとんどの人が関心の無い8mmカメラのことでしたw

Revere Camera Company のことを詳しく知りたい方はこちらの「シカゴ博物館」のサイトへ。以下https://www.madeinchicagomuseum.com/single-post/revere-camera-co/

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5月5日(金)、夜の8時15分から、NHK・BSドラマ「蔵」の再放送の最終回です。

https://www.nhk.jp/p/ts/4Q43WYMYZR/

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5月5日(金)、夜の8時15分から、NHK・BSドラマ「蔵」の再放送の最終回です。

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