2013年5月アーカイブ

先日、書家の杉本雅静氏のアトリエでコンサートをしました。そのことは以前のブログで書きましたね。一日に、休憩を入れた二時間弱のライブを、2回やりました。さすがに疲れました。一週間ほど疲れがぬけませんでした。やっぱり年だなぁ(笑)。よくプロ野球の投手で、中三日、とか、中四日とか云うでしょ、あれって次の登板までの休憩ですよね、僕は、中最低一週間になっちゃいました。いやいや、一週間じゃ足りないなぁ・・・(泣)

そんなふうに、楽しいコンサートだったわけですが、下の写真は僕が杉本さんに進呈した「秦琴」です。胴に杉本さんがサラサラと書いて、なんか面白いですね。

『邂逅 ご縁ご縁皆ご縁 良きも悪しきも皆出逢い』

と書いてあります。出会いを大切にしましょう、と云う杉本さんの思いです。

sugi-1-1.jpg

その時のライブの音源を少しお聞かせしましょう。

「佐穂の子守唄」NHKドラマ『蔵』より

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「月の沙漠」

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先日、書家の杉本雅静氏のアトリエでコンサートをしました。そのことは以前のブログで書きましたね。一日に、休憩を入れた二時間弱のライブを、2回やりました。さすがに疲れました。一週間ほど疲れがぬけませんでした。やっぱり年だなぁ(笑)。よくプロ野球の投手で、中三日、とか、中四日とか云うでしょ、あれって次の登板までの休憩ですよね、僕は、中最低一週間になっちゃいました。いやいや、一週間じゃ足りないなぁ・・・(泣)

そんなふうに、楽しいコンサートだったわけですが、下の写真は僕が杉本さんに進呈した「秦琴」です。胴に杉本さんがサラサラと書いて、なんか面白いですね。

『邂逅 ご縁ご縁皆ご縁 良きも悪しきも皆出逢い』

と書いてあります。出会いを大切にしましょう、と云う杉本さんの思いです。

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その時のライブの音源を少しお聞かせしましょう。

「佐穂の子守唄」NHKドラマ『蔵』より

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先日、書家の杉本雅静氏のアトリエでコンサートをしました。そのことは以前のブログで書きましたね。一日に、休憩を入れた二時間弱のライブを、2回やりました。さすがに疲れました。一週間ほど疲れがぬけませんでした。やっぱり年だなぁ(笑)。よくプロ野球の投手で、中三日、とか、中四日とか云うでしょ、あれって次の登板までの休憩ですよね、僕は、中最低一週間になっちゃいました。いやいや、一週間じゃ足りないなぁ・・・(泣)

そんなふうに、楽しいコンサートだったわけですが、下の写真は僕が杉本さんに進呈した「秦琴」です。胴に杉本さんがサラサラと書いて、なんか面白いですね。

『邂逅 ご縁ご縁皆ご縁 良きも悪しきも皆出逢い』

と書いてあります。出会いを大切にしましょう、と云う杉本さんの思いです。

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その時のライブの音源を少しお聞かせしましょう。

「佐穂の子守唄」NHKドラマ『蔵』より

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ここのところのブログとまったく関係ない話しですが・・・。平成17年に(財)海洋博覧会記念公園管理財団の「琉球楽器音階調査」に参加したのですが、そのことを前のブログに少し書きました。これから少しずつその時の話し等を書いていこうと思います。その一回目です。
以前のブロはこちらです。
http://akifukakusa.com/blog2/2012/12/post-94.html

名古屋の徳川美術館所蔵の「琉球式楽楽器」の復元は1997年頃にも行われていますが、今回はそれとは異なり、現物の楽器を実測し、また笛は徳川氏立ち会いのもとで実際に吹いてその音を測音したりして、綿密に行われました。特に笛の測音はおそらくもう出来ないでしょう。今回はその琉球式楽楽器の一つである「長線(ちゃんせん)」についてです。

「長線(ちゃんせん)」は以前のブログにも書きましたが、所謂「阮咸(げんかん)」もしくは「阮(げん)」と呼ばれる楽器の、明清時代の形のものです。美しい漆の装飾が施された楽器です。この装飾などについては、徳川義宣氏が『漆工史』第14号で「新出の琉球楽器 長線 」と題されて論考されているので興味のある方はそちらを参照して下さい。僕の担当はその様な研究とは異なり、実際にこの「長線(ちゃんせん)」がどのような音楽を奏でていたかを模索することです。

その大きな手掛かりは、一度も手直しされていないフレット(柱、品)です。ここでは詳しく書きませんが、試行錯誤の末、糸の太さを決め、四度調絃を一番合理的な調弦としました。しかしそれだけでは本当に音楽が出来るかどうか判りません。勿論本物の「長線」に絃を張って弾くことは叶いませんので、同寸法のレプリカを製作し、四度調絃の場合どのような音楽表現が出来るのかを試みた結果、八種類の音階を演奏することが出来ました。あまりうだうだ書いていても面白くないので、以下実際の音の1回目、「道宮」と「正平調」いう音階を基にして弾いてみた音を聞いて下さい。

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ここのところのブログとまったく関係ない話しですが・・・。平成17年に(財)海洋博覧会記念公園管理財団の「琉球楽器音階調査」に参加したのですが、そのことを前のブログに少し書きました。これから少しずつその時の話し等を書いていこうと思います。その一回目です。
以前のブロはこちらです。
http://akifukakusa.com/blog2/2012/12/post-94.html

名古屋の徳川美術館所蔵の「琉球式楽楽器」の復元は1997年頃にも行われていますが、今回はそれとは異なり、現物の楽器を実測し、また笛は徳川氏立ち会いのもとで実際に吹いてその音を測音したりして、綿密に行われました。特に笛の測音はおそらくもう出来ないでしょう。今回はその琉球式楽楽器の一つである「長線(ちゃんせん)」についてです。

「長線(ちゃんせん)」は以前のブログにも書きましたが、所謂「阮咸(げんかん)」もしくは「阮(げん)」と呼ばれる楽器の、明清時代の形のものです。美しい漆の装飾が施された楽器です。この装飾などについては、徳川義宣氏が『漆工史』第14号で「新出の琉球楽器 長線 」と題されて論考されているので興味のある方はそちらを参照して下さい。僕の担当はその様な研究とは異なり、実際にこの「長線(ちゃんせん)」がどのような音楽を奏でていたかを模索することです。

その大きな手掛かりは、一度も手直しされていないフレット(柱、品)です。ここでは詳しく書きませんが、試行錯誤の末、糸の太さを決め、四度調絃を一番合理的な調弦としました。しかしそれだけでは本当に音楽が出来るかどうか判りません。勿論本物の「長線」に絃を張って弾くことは叶いませんので、同寸法のレプリカを製作し、四度調絃の場合どのような音楽表現が出来るのかを試みた結果、八種類の音階を演奏することが出来ました。あまりうだうだ書いていても面白くないので、以下実際の音の1回目、「道宮」と「正平調」いう音階を基にして弾いてみた音を聞いて下さい。

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ここのところのブログとまったく関係ない話しですが・・・。平成17年に(財)海洋博覧会記念公園管理財団の「琉球楽器音階調査」に参加したのですが、そのことを前のブログに少し書きました。これから少しずつその時の話し等を書いていこうと思います。その一回目です。
以前のブロはこちらです。
http://akifukakusa.com/blog2/2012/12/post-94.html

名古屋の徳川美術館所蔵の「琉球式楽楽器」の復元は1997年頃にも行われていますが、今回はそれとは異なり、現物の楽器を実測し、また笛は徳川氏立ち会いのもとで実際に吹いてその音を測音したりして、綿密に行われました。特に笛の測音はおそらくもう出来ないでしょう。今回はその琉球式楽楽器の一つである「長線(ちゃんせん)」についてです。

「長線(ちゃんせん)」は以前のブログにも書きましたが、所謂「阮咸(げんかん)」もしくは「阮(げん)」と呼ばれる楽器の、明清時代の形のものです。美しい漆の装飾が施された楽器です。この装飾などについては、徳川義宣氏が『漆工史』第14号で「新出の琉球楽器 長線 」と題されて論考されているので興味のある方はそちらを参照して下さい。僕の担当はその様な研究とは異なり、実際にこの「長線(ちゃんせん)」がどのような音楽を奏でていたかを模索することです。

その大きな手掛かりは、一度も手直しされていないフレット(柱、品)です。ここでは詳しく書きませんが、試行錯誤の末、糸の太さを決め、四度調絃を一番合理的な調弦としました。しかしそれだけでは本当に音楽が出来るかどうか判りません。勿論本物の「長線」に絃を張って弾くことは叶いませんので、同寸法のレプリカを製作し、四度調絃の場合どのような音楽表現が出来るのかを試みた結果、八種類の音階を演奏することが出来ました。あまりうだうだ書いていても面白くないので、以下実際の音の1回目、「道宮」と「正平調」いう音階を基にして弾いてみた音を聞いて下さい。

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東京・練馬美術館で開催されている「牧野邦夫展」に行ってきました。最近、愛知の「秦琴教室」の生徒になった漫画家のペンネーム・姫川明さん(女性二人組です)を誘い、牧野夫人と美術館のロビーで待ち合わせをしました。夫人の興味深い話しを聞きながらゆっくりと作品を見ました。これだけの作品を一挙に百数十点見るとさすがに疲れましたが、作品制作の裏話を聞きながら、驚嘆しながらも楽しく見ることが出来ました。一番最後に今回僕の見たかった「海と戦さ」が飾られてありましたが、感想はうまく文章が書けないので、実際に一人一人見て感じて下さい。それと、幾らかの牧野邦夫(敬称略)が残した文章が展示されていました。今回の図録の夫人の言葉にもありますが、牧野邦夫は画とおなじ位文章も書いていたそうです。その言葉には画に向かう姿勢や心や葛藤が現れていて、一つ一つ誠実で深みがあり、僕自身が発する言葉がいかに貧弱なものか、考えさせられてしまいました。まぁ、自分のいいかげんさにいつも反省しちゃうんですけど(笑)。このような仕事をみると、仕事に対する姿勢と、執念のような切り結び方、集中力、いつも勉強させられます。僕は牧野さんよりも2年も生きてますよ。

図録です。

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巻頭に載る「地獄変(芥川龍之介作品より 1975)」と「海と戦さ(平家物語より 1975)」。これらを見ただけでも牧野邦夫の凄みが判ります。

maki-3.jpg

maki-4.jpg

「未完成の塔」、法隆寺だそうです。10年で一層、30年かけて未完の三層描く予定だったそうです。これ、一番下の右端に藤田嗣治の顔が描かれてますよ。もしも展覧会にいかれたらよく見て下さい。こんな謎解きがいろんなところにありますよ。

maki-5.jpg

「ビル(タイトル不詳) 1957」。かつて東京・日比谷にあった大阪建物ビル。このビルに邦夫氏の従兄(? 夫人から聞いたのですが忘れました)が務めていたそうです。図録を写真に撮ったので画が曲がっているように見えますが、実際の画も不思議な曲線になってます。上の「地獄変」のように耽美的(?)な画も多いですが、こんな風景画も僕は好きです。

maki-6.jpg

佐伯祐三を思わせるような「街はずれの公園 1961」

maki-7.jpg

「複製のある部屋 1962」。 夫人曰く、この画を見て黒柳徹子さんが肖像画を依頼して来たそうです。それにしても黒柳徹子さんは眼が高いと云うか、変わっていると云うか、この画を見て肖像画ねぇ・・。たぶん、黒柳さんはこの画からすぐに牧野邦夫の実力の凄さを感じ取ったのでしょうね。よく見ると畳や柱や襖などものすごくリアルです。黒柳さんはすでにこの当時から牧野邦夫の存在を知っていたと云うことです。

maki-2.jpg

下の3枚は図録からスキャンしました。1983年に描かれた不思議な「東寺」。

ma-toji-1.jpg

ma-touji-2.jpg

「食卓に座る千穂 1980」。牧野夫妻の生活風景、そんなことはないですね(笑) こんな面白い画もあります。

oku-1.jpg

ある時夫婦で散歩をしていた時、雀の死骸が落ちていたそうです。そっと手に取るとまだ暖かかったので、家までもって帰り、当時牧野家には二つ冷蔵庫があったそうですが、その一つの邦夫氏専用のお酒の入れてある冷蔵庫にしまい、後に画に描いたそうです。まだ暖かかった雀の死骸をそのままにしておけず、画にしてくれと云われたような気がして、丁寧に描いたんでしょうか。なんかその時の夫婦の優しい会話が想われます。

zuzume-1.jpg

いきなり現実に戻っちゃいますが、帰りに美術館の入り口で記念撮影。右が牧野夫人、左二人が本田さんと長野さん、二人でペンネーム姫川明です。22年振りの牧野邦夫の大規模な展覧会。これからどのように評価されて行くのか判りませんが、今発売されている小学館版『日本美術全集』に作品が掲載されるということです。最終日の6月2日までまだまだ日があります。是非、展覧会に足を運んで下さい。

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東京・練馬美術館で開催されている「牧野邦夫展」に行ってきました。最近、愛知の「秦琴教室」の生徒になった漫画家のペンネーム・姫川明さん(女性二人組です)を誘い、牧野夫人と美術館のロビーで待ち合わせをしました。夫人の興味深い話しを聞きながらゆっくりと作品を見ました。これだけの作品を一挙に百数十点見るとさすがに疲れましたが、作品制作の裏話を聞きながら、驚嘆しながらも楽しく見ることが出来ました。一番最後に今回僕の見たかった「海と戦さ」が飾られてありましたが、感想はうまく文章が書けないので、実際に一人一人見て感じて下さい。それと、幾らかの牧野邦夫(敬称略)が残した文章が展示されていました。今回の図録の夫人の言葉にもありますが、牧野邦夫は画とおなじ位文章も書いていたそうです。その言葉には画に向かう姿勢や心や葛藤が現れていて、一つ一つ誠実で深みがあり、僕自身が発する言葉がいかに貧弱なものか、考えさせられてしまいました。まぁ、自分のいいかげんさにいつも反省しちゃうんですけど(笑)。このような仕事をみると、仕事に対する姿勢と、執念のような切り結び方、集中力、いつも勉強させられます。僕は牧野さんよりも2年も生きてますよ。

図録です。

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巻頭に載る「地獄変(芥川龍之介作品より 1975)」と「海と戦さ(平家物語より 1975)」。これらを見ただけでも牧野邦夫の凄みが判ります。

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「未完成の塔」、法隆寺だそうです。10年で一層、30年かけて未完の三層描く予定だったそうです。これ、一番下の右端に藤田嗣治の顔が描かれてますよ。もしも展覧会にいかれたらよく見て下さい。こんな謎解きがいろんなところにありますよ。

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「ビル(タイトル不詳) 1957」。かつて東京・日比谷にあった大阪建物ビル。このビルに邦夫氏の従兄(? 夫人から聞いたのですが忘れました)が務めていたそうです。図録を写真に撮ったので画が曲がっているように見えますが、実際の画も不思議な曲線になってます。上の「地獄変」のように耽美的(?)な画も多いですが、こんな風景画も僕は好きです。

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佐伯祐三を思わせるような「街はずれの公園 1961」

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「複製のある部屋 1962」。 夫人曰く、この画を見て黒柳徹子さんが肖像画を依頼して来たそうです。それにしても黒柳徹子さんは眼が高いと云うか、変わっていると云うか、この画を見て肖像画ねぇ・・。たぶん、黒柳さんはこの画からすぐに牧野邦夫の実力の凄さを感じ取ったのでしょうね。よく見ると畳や柱や襖などものすごくリアルです。黒柳さんはすでにこの当時から牧野邦夫の存在を知っていたと云うことです。

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下の3枚は図録からスキャンしました。1983年に描かれた不思議な「東寺」。

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「食卓に座る千穂 1980」。牧野夫妻の生活風景、そんなことはないですね(笑) こんな面白い画もあります。

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ある時夫婦で散歩をしていた時、雀の死骸が落ちていたそうです。そっと手に取るとまだ暖かかったので、家までもって帰り、当時牧野家には二つ冷蔵庫があったそうですが、その一つの邦夫氏専用のお酒の入れてある冷蔵庫にしまい、後に画に描いたそうです。まだ暖かかった雀の死骸をそのままにしておけず、画にしてくれと云われたような気がして、丁寧に描いたんでしょうか。なんかその時の夫婦の優しい会話が想われます。

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いきなり現実に戻っちゃいますが、帰りに美術館の入り口で記念撮影。右が牧野夫人、左二人が本田さんと長野さん、二人でペンネーム姫川明です。22年振りの牧野邦夫の大規模な展覧会。これからどのように評価されて行くのか判りませんが、今発売されている小学館版『日本美術全集』に作品が掲載されるということです。最終日の6月2日までまだまだ日があります。是非、展覧会に足を運んで下さい。

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東京・練馬美術館で開催されている「牧野邦夫展」に行ってきました。最近、愛知の「秦琴教室」の生徒になった漫画家のペンネーム・姫川明さん(女性二人組です)を誘い、牧野夫人と美術館のロビーで待ち合わせをしました。夫人の興味深い話しを聞きながらゆっくりと作品を見ました。これだけの作品を一挙に百数十点見るとさすがに疲れましたが、作品制作の裏話を聞きながら、驚嘆しながらも楽しく見ることが出来ました。一番最後に今回僕の見たかった「海と戦さ」が飾られてありましたが、感想はうまく文章が書けないので、実際に一人一人見て感じて下さい。それと、幾らかの牧野邦夫(敬称略)が残した文章が展示されていました。今回の図録の夫人の言葉にもありますが、牧野邦夫は画とおなじ位文章も書いていたそうです。その言葉には画に向かう姿勢や心や葛藤が現れていて、一つ一つ誠実で深みがあり、僕自身が発する言葉がいかに貧弱なものか、考えさせられてしまいました。まぁ、自分のいいかげんさにいつも反省しちゃうんですけど(笑)。このような仕事をみると、仕事に対する姿勢と、執念のような切り結び方、集中力、いつも勉強させられます。僕は牧野さんよりも2年も生きてますよ。

図録です。

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巻頭に載る「地獄変(芥川龍之介作品より 1975)」と「海と戦さ(平家物語より 1975)」。これらを見ただけでも牧野邦夫の凄みが判ります。

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「未完成の塔」、法隆寺だそうです。10年で一層、30年かけて未完の三層描く予定だったそうです。これ、一番下の右端に藤田嗣治の顔が描かれてますよ。もしも展覧会にいかれたらよく見て下さい。こんな謎解きがいろんなところにありますよ。

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「ビル(タイトル不詳) 1957」。かつて東京・日比谷にあった大阪建物ビル。このビルに邦夫氏の従兄(? 夫人から聞いたのですが忘れました)が務めていたそうです。図録を写真に撮ったので画が曲がっているように見えますが、実際の画も不思議な曲線になってます。上の「地獄変」のように耽美的(?)な画も多いですが、こんな風景画も僕は好きです。

maki-6.jpg

佐伯祐三を思わせるような「街はずれの公園 1961」

maki-7.jpg

「複製のある部屋 1962」。 夫人曰く、この画を見て黒柳徹子さんが肖像画を依頼して来たそうです。それにしても黒柳徹子さんは眼が高いと云うか、変わっていると云うか、この画を見て肖像画ねぇ・・。たぶん、黒柳さんはこの画からすぐに牧野邦夫の実力の凄さを感じ取ったのでしょうね。よく見ると畳や柱や襖などものすごくリアルです。黒柳さんはすでにこの当時から牧野邦夫の存在を知っていたと云うことです。

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下の3枚は図録からスキャンしました。1983年に描かれた不思議な「東寺」。

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「食卓に座る千穂 1980」。牧野夫妻の生活風景、そんなことはないですね(笑) こんな面白い画もあります。

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ある時夫婦で散歩をしていた時、雀の死骸が落ちていたそうです。そっと手に取るとまだ暖かかったので、家までもって帰り、当時牧野家には二つ冷蔵庫があったそうですが、その一つの邦夫氏専用のお酒の入れてある冷蔵庫にしまい、後に画に描いたそうです。まだ暖かかった雀の死骸をそのままにしておけず、画にしてくれと云われたような気がして、丁寧に描いたんでしょうか。なんかその時の夫婦の優しい会話が想われます。

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いきなり現実に戻っちゃいますが、帰りに美術館の入り口で記念撮影。右が牧野夫人、左二人が本田さんと長野さん、二人でペンネーム姫川明です。22年振りの牧野邦夫の大規模な展覧会。これからどのように評価されて行くのか判りませんが、今発売されている小学館版『日本美術全集』に作品が掲載されるということです。最終日の6月2日までまだまだ日があります。是非、展覧会に足を運んで下さい。

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杉本雅静氏のアトリエ「登論都」コンサート無事終了しました。2時からの昼の部と6時半からの夜の部、途中休憩を入れた2時間弱のコンサートを2回、さすがにちょっと疲れました。それもあって後半はちょっとダラけちゃったかなぁ、反省です。音響照明的にはむつかしい状況でしたが、スタッフの皆さんに手伝ってもらい、狭い階段の所を機材を引っぱり上げて設え、音の調整も照明も感じ良く出来てなんとか始まった次第です。でも、いつも後から録音を聞いて思うんですが、MC、つまり曲の合間のおしゃべりがだらだらと長いなぁ、反省!!

昼間の部に皆さんにふるまわれた手打ちのお蕎麦がなんとも美味しかった! 杉本さんの友人で、お蕎麦屋さんではないけれど、好きでそば打ちをしている人らしいです。その奥さんが作るそば汁との絶妙の取り合わせ、また食べたいです。それと、以前のブログに書いた絶滅危惧種である「くまがい草」が今年も裏の崖のところに満開でした。

舟の中のようなアトリエ。真ん中の「義」って彫ってある板の上がステージです。ずいぶん高いステージなんです。この下にトイレがあるのでこんな感じになっているそうです。

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本番写真はないのでリハ風景です。右側に以前に杉本さんに書いて頂いた「書」を掛けました。それにしても「義」が目立つなぁ(笑)

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以前のブログに載せた「くまがい草」の写真の載せましょう。今年も裏の崖に満開でした。

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次のブログは、先日見に行った、東京・練馬美術館で開催されている「牧野邦夫展」の話しをしましょう。

 

 

 

杉本雅静氏のアトリエ「登論都」コンサート無事終了しました。2時からの昼の部と6時半からの夜の部、途中休憩を入れた2時間弱のコンサートを2回、さすがにちょっと疲れました。それもあって後半はちょっとダラけちゃったかなぁ、反省です。音響照明的にはむつかしい状況でしたが、スタッフの皆さんに手伝ってもらい、狭い階段の所を機材を引っぱり上げて設え、音の調整も照明も感じ良く出来てなんとか始まった次第です。でも、いつも後から録音を聞いて思うんですが、MC、つまり曲の合間のおしゃべりがだらだらと長いなぁ、反省!!

昼間の部に皆さんにふるまわれた手打ちのお蕎麦がなんとも美味しかった! 杉本さんの友人で、お蕎麦屋さんではないけれど、好きでそば打ちをしている人らしいです。その奥さんが作るそば汁との絶妙の取り合わせ、また食べたいです。それと、以前のブログに書いた絶滅危惧種である「くまがい草」が今年も裏の崖のところに満開でした。

舟の中のようなアトリエ。真ん中の「義」って彫ってある板の上がステージです。ずいぶん高いステージなんです。この下にトイレがあるのでこんな感じになっているそうです。

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本番写真はないのでリハ風景です。右側に以前に杉本さんに書いて頂いた「書」を掛けました。それにしても「義」が目立つなぁ(笑)

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杉本雅静氏のアトリエ「登論都」コンサート無事終了しました。2時からの昼の部と6時半からの夜の部、途中休憩を入れた2時間弱のコンサートを2回、さすがにちょっと疲れました。それもあって後半はちょっとダラけちゃったかなぁ、反省です。音響照明的にはむつかしい状況でしたが、スタッフの皆さんに手伝ってもらい、狭い階段の所を機材を引っぱり上げて設え、音の調整も照明も感じ良く出来てなんとか始まった次第です。でも、いつも後から録音を聞いて思うんですが、MC、つまり曲の合間のおしゃべりがだらだらと長いなぁ、反省!!

昼間の部に皆さんにふるまわれた手打ちのお蕎麦がなんとも美味しかった! 杉本さんの友人で、お蕎麦屋さんではないけれど、好きでそば打ちをしている人らしいです。その奥さんが作るそば汁との絶妙の取り合わせ、また食べたいです。それと、以前のブログに書いた絶滅危惧種である「くまがい草」が今年も裏の崖のところに満開でした。

舟の中のようなアトリエ。真ん中の「義」って彫ってある板の上がステージです。ずいぶん高いステージなんです。この下にトイレがあるのでこんな感じになっているそうです。

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本番写真はないのでリハ風景です。右側に以前に杉本さんに書いて頂いた「書」を掛けました。それにしても「義」が目立つなぁ(笑)

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以前のブログに載せた「くまがい草」の写真の載せましょう。今年も裏の崖に満開でした。

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先日の「シルクラブ」コンサートの見聞記が、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンのサイトに載りました。ミュージック・ペンクラブ・ジャパンは日本の音楽評論家の方々の組織で、ジャズ、クラシック、ポピュラー、オーディオと現在200人の会員の方が所属されています。ホ―ムページ上で様々な情報交換がなされ、また賞の発表としてミュージック・ペンクラブ音楽賞を設けています。そのペンクラブの元会長の鈴木道子さんが「シルクラブ」コンサートを見られたので、その時の感想を書いてくれました。僕のような音楽の仕事ではこの様に取り上げられることは大切です。ありがとうございました!

13年前程に、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンと中国・北京中央音楽学院との交流5周年の記念イベントが北京中央音楽学院で催されました。その時オーマガトキレコードを通じて、演奏を頼まれたのですが、ミュージック・ペンクラブ側の代表が鈴木道子さんだったのです。それ以後機会あればコンサートにきていただき、いろいろアドバイスをもらっています。まだ「縁」が続いていることはありがたいことです。

サイトです。http://musicpenclub.com/talk-201305.html

ミュージック・ペンクラブ・ジャパンのトップページ http://musicpenclub.com/

以下、サイトからの抜粋です。

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mu-2.jpg

「なんとも暖かい幽玄のひびき。深草アキの秦琴は二つとない。・・・・」からはじまります。僕はこの「二つとない」と云うのがとても好きです。表現を突き詰めて行けば、それは二つとないものに当然なるのです。なぜならこの世に私は一人しか存在していないからです。私自身の表現を突き詰めて行けば行く程、およそ二つとないものにならざるを得ないのです。僕がこの世からいなくなってしまうと同時にこの音楽もなくなってしまうのです。その残像としてCDやデジタルの録音物等で聞くことは出来ますが、それはあくまでも残像ですよ。まぁ、そんなことを云っても、たかが秦琴されど秦琴ですね。

上記、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンと中国・北京中央音楽学院との交流5周年の記念イベントの一こま。前列真ん中の黒いジャケットが僕です。まだ頭の毛が多いなぁ(笑)。僕の左隣が当時の北京中央音楽学院の学長さん。右隣が一緒に演奏した琵琶の張強さん。学長さんの左隣が鈴木道子さんです。とても楽しかったでした。いい思い出です。フォトアルバムをご覧下さい。

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先日の「シルクラブ」コンサートの見聞記が、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンのサイトに載りました。ミュージック・ペンクラブ・ジャパンは日本の音楽評論家の方々の組織で、ジャズ、クラシック、ポピュラー、オーディオと現在200人の会員の方が所属されています。ホ―ムページ上で様々な情報交換がなされ、また賞の発表としてミュージック・ペンクラブ音楽賞を設けています。そのペンクラブの元会長の鈴木道子さんが「シルクラブ」コンサートを見られたので、その時の感想を書いてくれました。僕のような音楽の仕事ではこの様に取り上げられることは大切です。ありがとうございました!

13年前程に、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンと中国・北京中央音楽学院との交流5周年の記念イベントが北京中央音楽学院で催されました。その時オーマガトキレコードを通じて、演奏を頼まれたのですが、ミュージック・ペンクラブ側の代表が鈴木道子さんだったのです。それ以後機会あればコンサートにきていただき、いろいろアドバイスをもらっています。まだ「縁」が続いていることはありがたいことです。

サイトです。http://musicpenclub.com/talk-201305.html

ミュージック・ペンクラブ・ジャパンのトップページ http://musicpenclub.com/

以下、サイトからの抜粋です。

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「なんとも暖かい幽玄のひびき。深草アキの秦琴は二つとない。・・・・」からはじまります。僕はこの「二つとない」と云うのがとても好きです。表現を突き詰めて行けば、それは二つとないものに当然なるのです。なぜならこの世に私は一人しか存在していないからです。私自身の表現を突き詰めて行けば行く程、およそ二つとないものにならざるを得ないのです。僕がこの世からいなくなってしまうと同時にこの音楽もなくなってしまうのです。その残像としてCDやデジタルの録音物等で聞くことは出来ますが、それはあくまでも残像ですよ。まぁ、そんなことを云っても、たかが秦琴されど秦琴ですね。

上記、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンと中国・北京中央音楽学院との交流5周年の記念イベントの一こま。前列真ん中の黒いジャケットが僕です。まだ頭の毛が多いなぁ(笑)。僕の左隣が当時の北京中央音楽学院の学長さん。右隣が一緒に演奏した琵琶の張強さん。学長さんの左隣が鈴木道子さんです。とても楽しかったでした。いい思い出です。フォトアルバムをご覧下さい。

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先日の「シルクラブ」コンサートの見聞記が、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンのサイトに載りました。ミュージック・ペンクラブ・ジャパンは日本の音楽評論家の方々の組織で、ジャズ、クラシック、ポピュラー、オーディオと現在200人の会員の方が所属されています。ホ―ムページ上で様々な情報交換がなされ、また賞の発表としてミュージック・ペンクラブ音楽賞を設けています。そのペンクラブの元会長の鈴木道子さんが「シルクラブ」コンサートを見られたので、その時の感想を書いてくれました。僕のような音楽の仕事ではこの様に取り上げられることは大切です。ありがとうございました!

13年前程に、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンと中国・北京中央音楽学院との交流5周年の記念イベントが北京中央音楽学院で催されました。その時オーマガトキレコードを通じて、演奏を頼まれたのですが、ミュージック・ペンクラブ側の代表が鈴木道子さんだったのです。それ以後機会あればコンサートにきていただき、いろいろアドバイスをもらっています。まだ「縁」が続いていることはありがたいことです。

サイトです。http://musicpenclub.com/talk-201305.html

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「なんとも暖かい幽玄のひびき。深草アキの秦琴は二つとない。・・・・」からはじまります。僕はこの「二つとない」と云うのがとても好きです。表現を突き詰めて行けば、それは二つとないものに当然なるのです。なぜならこの世に私は一人しか存在していないからです。私自身の表現を突き詰めて行けば行く程、およそ二つとないものにならざるを得ないのです。僕がこの世からいなくなってしまうと同時にこの音楽もなくなってしまうのです。その残像としてCDやデジタルの録音物等で聞くことは出来ますが、それはあくまでも残像ですよ。まぁ、そんなことを云っても、たかが秦琴されど秦琴ですね。

上記、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンと中国・北京中央音楽学院との交流5周年の記念イベントの一こま。前列真ん中の黒いジャケットが僕です。まだ頭の毛が多いなぁ(笑)。僕の左隣が当時の北京中央音楽学院の学長さん。右隣が一緒に演奏した琵琶の張強さん。学長さんの左隣が鈴木道子さんです。とても楽しかったでした。いい思い出です。フォトアルバムをご覧下さい。

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今、東京の練馬美術館で「牧野邦夫―写実の精髄―展」と題した展覧会が開催されています。画家・牧野邦夫は1925年東京に生まれ、1986年に61歳で亡くなっています。「写実の精髄」とありますが、牧野邦夫の描き出すその精密な画の世界は写実と云ってもこの世のどこにも無い世界なのです。自画像や牧野夫人の画も多いのですが、その真骨頂は得体の知れない不思議な幻想世界の画なのです。僕は画にはまったくの門外漢ですので牧野邦夫を評論する言葉をまったく持ちあわせていませんが、その不思議な世界の画が精密であればあるほど、画の前に無言で佇み、その世界をそのまま受け入れるしかなくなってしまうのです。

以前のブログに画家・牧野邦夫を最初に知ったときのことを書き、その中で岸田劉生に触れたのですが、その不思議な世界はふと、ルネサンス期のフランドル派の画家‪ヒエロニムス・ボス‬を思い出しました。僕の知り合いの画家がボスに傾倒していたのです。こんな好き勝手に云っていたらあの世から牧野さんに笑われちゃうかも知れませんね(笑)

亡くなった年の1986年と云えば、僕の最初のCD(当時はレコードも)「秦琴」がリリースされた年です。そんなことを考えると牧野さんの晩年の十年は、僕が「ファーイースト」から「観世音」そして「秦琴」と出会い、最初のアルバムを出した27歳から37歳の頃で、僕にとっても人生の激動の時期でした。その時期には残念ながら牧野さんとは出会うことはなかったでしたが、牧野夫人の千穂さんと知り合い、画家・牧野邦夫を少し身近に感じることができ、画と音楽と分野は異なりますが、僕にとっては大きな刺激となっています。

最初に知ったときのブログです。 http://akifukakusa.com/blog2/2011/04/25.html

6月2日まで、東京の練馬美術館で開催されています。 

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今、東京の練馬美術館で「牧野邦夫―写実の精髄―展」と題した展覧会が開催されています。画家・牧野邦夫は1925年東京に生まれ、1986年に61歳で亡くなっています。「写実の精髄」とありますが、牧野邦夫の描き出すその精密な画の世界は写実と云ってもこの世のどこにも無い世界なのです。自画像や牧野夫人の画も多いのですが、その真骨頂は得体の知れない不思議な幻想世界の画なのです。僕は画にはまったくの門外漢ですので牧野邦夫を評論する言葉をまったく持ちあわせていませんが、その不思議な世界の画が精密であればあるほど、画の前に無言で佇み、その世界をそのまま受け入れるしかなくなってしまうのです。

以前のブログに画家・牧野邦夫を最初に知ったときのことを書き、その中で岸田劉生に触れたのですが、その不思議な世界はふと、ルネサンス期のフランドル派の画家‪ヒエロニムス・ボス‬を思い出しました。僕の知り合いの画家がボスに傾倒していたのです。こんな好き勝手に云っていたらあの世から牧野さんに笑われちゃうかも知れませんね(笑)

亡くなった年の1986年と云えば、僕の最初のCD(当時はレコードも)「秦琴」がリリースされた年です。そんなことを考えると牧野さんの晩年の十年は、僕が「ファーイースト」から「観世音」そして「秦琴」と出会い、最初のアルバムを出した27歳から37歳の頃で、僕にとっても人生の激動の時期でした。その時期には残念ながら牧野さんとは出会うことはなかったでしたが、牧野夫人の千穂さんと知り合い、画家・牧野邦夫を少し身近に感じることができ、画と音楽と分野は異なりますが、僕にとっては大きな刺激となっています。

最初に知ったときのブログです。 http://akifukakusa.com/blog2/2011/04/25.html

6月2日まで、東京の練馬美術館で開催されています。 

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今、東京の練馬美術館で「牧野邦夫―写実の精髄―展」と題した展覧会が開催されています。画家・牧野邦夫は1925年東京に生まれ、1986年に61歳で亡くなっています。「写実の精髄」とありますが、牧野邦夫の描き出すその精密な画の世界は写実と云ってもこの世のどこにも無い世界なのです。自画像や牧野夫人の画も多いのですが、その真骨頂は得体の知れない不思議な幻想世界の画なのです。僕は画にはまったくの門外漢ですので牧野邦夫を評論する言葉をまったく持ちあわせていませんが、その不思議な世界の画が精密であればあるほど、画の前に無言で佇み、その世界をそのまま受け入れるしかなくなってしまうのです。

以前のブログに画家・牧野邦夫を最初に知ったときのことを書き、その中で岸田劉生に触れたのですが、その不思議な世界はふと、ルネサンス期のフランドル派の画家‪ヒエロニムス・ボス‬を思い出しました。僕の知り合いの画家がボスに傾倒していたのです。こんな好き勝手に云っていたらあの世から牧野さんに笑われちゃうかも知れませんね(笑)

亡くなった年の1986年と云えば、僕の最初のCD(当時はレコードも)「秦琴」がリリースされた年です。そんなことを考えると牧野さんの晩年の十年は、僕が「ファーイースト」から「観世音」そして「秦琴」と出会い、最初のアルバムを出した27歳から37歳の頃で、僕にとっても人生の激動の時期でした。その時期には残念ながら牧野さんとは出会うことはなかったでしたが、牧野夫人の千穂さんと知り合い、画家・牧野邦夫を少し身近に感じることができ、画と音楽と分野は異なりますが、僕にとっては大きな刺激となっています。

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