2022年12月アーカイブ

東西冷戦の象徴的な「鉄のカーテン」なんて言葉はまったく死語になっているけれど、その「鉄のカーテン」真っ最中の1962年、冷戦下のソビエトで製造された8mmカメラ「Cnopmー2」。

どう発音するのか知らないですが、カザフ語だと「Спорт」(ちゃんと表記されるのかな?、最後のTのような文字はtの大文字ではありません)、意味は「スポーツ」と云うことで、英語圏では現在は「Sportー2 」と云われている珍しい8mmカメラです。バッテリーで駆動するのですが、使用する電池は、3R12という 4.5Vの電池で今ではなかなか入手が面倒です。そのかわりに1.5Vの単三電池を三本つなぐ変換アダプターがドイツから出ていたので手に入れてはみましたが、結局動きません。

1962年はアメリカではケネディー大統領、前年の11月にはカザルスがホワイトハウスでコンサートをしています。そしてビートルズが流行りだし、私は愛知の田舎でエレキ少年まっしぐらの時代ですね。その当時はソビエトの社会なんてまったく知らなかったし興味もなかった。

ロシア・ウクライナ戦争が勃発して、ロシアは再び「鉄のカーテン」いや「プーチンのカーテン」ともいうべき鉄の紗幕の様なカーテンを降ろし始めている。

どうでもいい話しをしていますが、皆さんはお正月はどんな風に迎えるんでしょう、私は奥さんと二人でなんにもない静かなお正月です。

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東西冷戦の象徴的な「鉄のカーテン」なんて言葉はまったく死語になっているけれど、その「鉄のカーテン」真っ最中の1962年、冷戦下のソビエトで製造された8mmカメラ「Cnopmー2」。

どう発音するのか知らないですが、カザフ語だと「Спорт」(ちゃんと表記されるのかな?、最後のTのような文字はtの大文字ではありません)、意味は「スポーツ」と云うことで、英語圏では現在は「Sportー2 」と云われている珍しい8mmカメラです。バッテリーで駆動するのですが、使用する電池は、3R12という 4.5Vの電池で今ではなかなか入手が面倒です。そのかわりに1.5Vの単三電池を三本つなぐ変換アダプターがドイツから出ていたので手に入れてはみましたが、結局動きません。

1962年はアメリカではケネディー大統領、前年の11月にはカザルスがホワイトハウスでコンサートをしています。そしてビートルズが流行りだし、私は愛知の田舎でエレキ少年まっしぐらの時代ですね。その当時はソビエトの社会なんてまったく知らなかったし興味もなかった。

ロシア・ウクライナ戦争が勃発して、ロシアは再び「鉄のカーテン」いや「プーチンのカーテン」ともいうべき鉄の紗幕の様なカーテンを降ろし始めている。

どうでもいい話しをしていますが、皆さんはお正月はどんな風に迎えるんでしょう、私は奥さんと二人でなんにもない静かなお正月です。

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東西冷戦の象徴的な「鉄のカーテン」なんて言葉はまったく死語になっているけれど、その「鉄のカーテン」真っ最中の1962年、冷戦下のソビエトで製造された8mmカメラ「Cnopmー2」。

どう発音するのか知らないですが、カザフ語だと「Спорт」(ちゃんと表記されるのかな?、最後のTのような文字はtの大文字ではありません)、意味は「スポーツ」と云うことで、英語圏では現在は「Sportー2 」と云われている珍しい8mmカメラです。バッテリーで駆動するのですが、使用する電池は、3R12という 4.5Vの電池で今ではなかなか入手が面倒です。そのかわりに1.5Vの単三電池を三本つなぐ変換アダプターがドイツから出ていたので手に入れてはみましたが、結局動きません。

1962年はアメリカではケネディー大統領、前年の11月にはカザルスがホワイトハウスでコンサートをしています。そしてビートルズが流行りだし、私は愛知の田舎でエレキ少年まっしぐらの時代ですね。その当時はソビエトの社会なんてまったく知らなかったし興味もなかった。

ロシア・ウクライナ戦争が勃発して、ロシアは再び「鉄のカーテン」いや「プーチンのカーテン」ともいうべき鉄の紗幕の様なカーテンを降ろし始めている。

どうでもいい話しをしていますが、皆さんはお正月はどんな風に迎えるんでしょう、私は奥さんと二人でなんにもない静かなお正月です。

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ナチス占領下のポーランドのシュトゥットホーフ強制収容所での出来事だ。被告の彼女は当時、速記タイピストとして採用され、1943~1945年に勤務した。勤務時は18~19歳だったが、ドイツはホロコーストに対しては徹底的に総括している。
—————————————
「BBC」
「ナチス収容所のタイピストだった97歳、有罪判決 1万人以上の殺害に関わったと認定」

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ナチス占領下のポーランドのシュトゥットホーフ強制収容所での出来事だ。被告の彼女は当時、速記タイピストとして採用され、1943~1945年に勤務した。勤務時は18~19歳だったが、ドイツはホロコーストに対しては徹底的に総括している。
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「BBC」
「ナチス収容所のタイピストだった97歳、有罪判決 1万人以上の殺害に関わったと認定」

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ナチス占領下のポーランドのシュトゥットホーフ強制収容所での出来事だ。被告の彼女は当時、速記タイピストとして採用され、1943~1945年に勤務した。勤務時は18~19歳だったが、ドイツはホロコーストに対しては徹底的に総括している。
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「BBC」
「ナチス収容所のタイピストだった97歳、有罪判決 1万人以上の殺害に関わったと認定」

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1928年にフランスのPathé(パテ兄弟社)から発売された「Pathé Motocamera(パテ・モトカメラ)」、フィルムは8mmとか16mmではなく9.5mmを用いた。 レンズはドイツのCarl Zeissの(カールツァイス)のZeiss-Jena・Tessarが付いている。

100年近く経っている割には綺麗でハンドルを巻けばまだ動くけれど、9.5mmのフィルムなんぞもうないでしょう。ただフィルム撮影機を使っている映像作家の人は9.5mmの作品も発表しているようです。日本では、日本映画機社というところが昭和12年(1937)~昭和15年頃に9.5mmフィルムのカメラを製造していたようです。

Pathé(パテ社)は1896年にパテ四兄弟によって設立されたフランスの大手映画製作会社です。20世紀の初頭には世界でも最大手の映画撮影機器製造会社になり、第一次世界大戦直前の時期にはヨーロッパの映画用カメラおよび映写機の市場を支配し、世界の映画の半分以上がパテ社の機材を使って撮影されていたようです(wiki)。チャップリンもPathéの機材を使っていたのかもしれないですね。

しかし第一次世界大戦から10年後、経営が悪化し、映画プロデューサーだったベルナール・ナタンがパテ社を買収した。ユダヤ人のナタンはマスメディアから執拗な攻撃を受け続けたが、1930年代の世界大恐慌にかかわらずパテ社を再興し好調な経営を続けた。しかし結局1935年にパテ社は破産した。

パテ社の倒産で、ユダヤ人の所以か、ナタンはフランス官憲の取り調べを受け、1941年に告訴され有罪となった。そしてフランス当局は当時の占領者であったナチス・ドイツに彼を引き渡してしまった。彼はそのままアウシュヴィッツへと送られ、同年もしくは翌43年にアウシュヴィッツで死亡したそうだ。

1928年のこのカメラは当時のフランスのどんな風景を、どんな社会を写していたんだろう。物は所詮は物だけれど、それにまつわる物語は広くて深くて、とてもピントがあわせられない。

戦後、パテ社は様々な投資家や会社に買収されながらフランスの老舗大手映画会社として現在にいたっている。

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1928年にフランスのPathé(パテ兄弟社)から発売された「Pathé Motocamera(パテ・モトカメラ)」、フィルムは8mmとか16mmではなく9.5mmを用いた。 レンズはドイツのCarl Zeissの(カールツァイス)のZeiss-Jena・Tessarが付いている。

100年近く経っている割には綺麗でハンドルを巻けばまだ動くけれど、9.5mmのフィルムなんぞもうないでしょう。ただフィルム撮影機を使っている映像作家の人は9.5mmの作品も発表しているようです。日本では、日本映画機社というところが昭和12年(1937)~昭和15年頃に9.5mmフィルムのカメラを製造していたようです。

Pathé(パテ社)は1896年にパテ四兄弟によって設立されたフランスの大手映画製作会社です。20世紀の初頭には世界でも最大手の映画撮影機器製造会社になり、第一次世界大戦直前の時期にはヨーロッパの映画用カメラおよび映写機の市場を支配し、世界の映画の半分以上がパテ社の機材を使って撮影されていたようです(wiki)。チャップリンもPathéの機材を使っていたのかもしれないですね。

しかし第一次世界大戦から10年後、経営が悪化し、映画プロデューサーだったベルナール・ナタンがパテ社を買収した。ユダヤ人のナタンはマスメディアから執拗な攻撃を受け続けたが、1930年代の世界大恐慌にかかわらずパテ社を再興し好調な経営を続けた。しかし結局1935年にパテ社は破産した。

パテ社の倒産で、ユダヤ人の所以か、ナタンはフランス官憲の取り調べを受け、1941年に告訴され有罪となった。そしてフランス当局は当時の占領者であったナチス・ドイツに彼を引き渡してしまった。彼はそのままアウシュヴィッツへと送られ、同年もしくは翌43年にアウシュヴィッツで死亡したそうだ。

1928年のこのカメラは当時のフランスのどんな風景を、どんな社会を写していたんだろう。物は所詮は物だけれど、それにまつわる物語は広くて深くて、とてもピントがあわせられない。

戦後、パテ社は様々な投資家や会社に買収されながらフランスの老舗大手映画会社として現在にいたっている。

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1928年にフランスのPathé(パテ兄弟社)から発売された「Pathé Motocamera(パテ・モトカメラ)」、フィルムは8mmとか16mmではなく9.5mmを用いた。 レンズはドイツのCarl Zeissの(カールツァイス)のZeiss-Jena・Tessarが付いている。

100年近く経っている割には綺麗でハンドルを巻けばまだ動くけれど、9.5mmのフィルムなんぞもうないでしょう。ただフィルム撮影機を使っている映像作家の人は9.5mmの作品も発表しているようです。日本では、日本映画機社というところが昭和12年(1937)~昭和15年頃に9.5mmフィルムのカメラを製造していたようです。

Pathé(パテ社)は1896年にパテ四兄弟によって設立されたフランスの大手映画製作会社です。20世紀の初頭には世界でも最大手の映画撮影機器製造会社になり、第一次世界大戦直前の時期にはヨーロッパの映画用カメラおよび映写機の市場を支配し、世界の映画の半分以上がパテ社の機材を使って撮影されていたようです(wiki)。チャップリンもPathéの機材を使っていたのかもしれないですね。

しかし第一次世界大戦から10年後、経営が悪化し、映画プロデューサーだったベルナール・ナタンがパテ社を買収した。ユダヤ人のナタンはマスメディアから執拗な攻撃を受け続けたが、1930年代の世界大恐慌にかかわらずパテ社を再興し好調な経営を続けた。しかし結局1935年にパテ社は破産した。

パテ社の倒産で、ユダヤ人の所以か、ナタンはフランス官憲の取り調べを受け、1941年に告訴され有罪となった。そしてフランス当局は当時の占領者であったナチス・ドイツに彼を引き渡してしまった。彼はそのままアウシュヴィッツへと送られ、同年もしくは翌43年にアウシュヴィッツで死亡したそうだ。

1928年のこのカメラは当時のフランスのどんな風景を、どんな社会を写していたんだろう。物は所詮は物だけれど、それにまつわる物語は広くて深くて、とてもピントがあわせられない。

戦後、パテ社は様々な投資家や会社に買収されながらフランスの老舗大手映画会社として現在にいたっている。

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ミュージシャン以外は興味の無い投稿でしょう。

「Binson Echorec」、ミュージシャンなら誰でも耳にしたことがあり、あこがれたエコーユニット。Pink FloydのDavid Gilmourは有名な話しですよね。もう半世紀近く前にBassistとして参加していた「ファーイーストファミリーバンド」で当時の私は発売されたばかりのローランド・スペースエコーを使っていましたが、ギターのヒロ(福島博人)はこのビンソンを愛用してましたね。

Binsonはイタリア・ミラノで1940年代に誕生した真空管ラジオのメーカーだったようです。その後ギターアンプを作りはじめ、50年代から世界的に愛用された名器の「Binson Echorec」を生産し始めたんですね。私が高校生のエレキバンド時代に好きだったイギリスのバンド「The Shadows」のHank Marvinがいち早く使っていたようですが当時は知る由もありませんでしたよ。

しかしその後、テクノロジーの進化と時代が要求する音の変化に逆らえず1980年代半ばには製造を停止してしまったようです。工場は修理サービスや工場見学ツアーなどをして残していたようですが、1996年についに工場も完全封鎖してしまいました。工場は現在でもミラノの郊外に残っているそうです。

「Binson Echorec」のことをもっと詳しく知りたい人は以下のURLから。
https://www.effectrode.com/knowledge-base/history-of-the-binson-amplifier-hifi-company/

日本でもビンソンが手に入り修理もできるようです、以下。
https://ameblo.jp/howlguitars/entry-12027694927.html

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ミュージシャン以外は興味の無い投稿でしょう。

「Binson Echorec」、ミュージシャンなら誰でも耳にしたことがあり、あこがれたエコーユニット。Pink FloydのDavid Gilmourは有名な話しですよね。もう半世紀近く前にBassistとして参加していた「ファーイーストファミリーバンド」で当時の私は発売されたばかりのローランド・スペースエコーを使っていましたが、ギターのヒロ(福島博人)はこのビンソンを愛用してましたね。

Binsonはイタリア・ミラノで1940年代に誕生した真空管ラジオのメーカーだったようです。その後ギターアンプを作りはじめ、50年代から世界的に愛用された名器の「Binson Echorec」を生産し始めたんですね。私が高校生のエレキバンド時代に好きだったイギリスのバンド「The Shadows」のHank Marvinがいち早く使っていたようですが当時は知る由もありませんでしたよ。

しかしその後、テクノロジーの進化と時代が要求する音の変化に逆らえず1980年代半ばには製造を停止してしまったようです。工場は修理サービスや工場見学ツアーなどをして残していたようですが、1996年についに工場も完全封鎖してしまいました。工場は現在でもミラノの郊外に残っているそうです。

「Binson Echorec」のことをもっと詳しく知りたい人は以下のURLから。
https://www.effectrode.com/knowledge-base/history-of-the-binson-amplifier-hifi-company/

日本でもビンソンが手に入り修理もできるようです、以下。
https://ameblo.jp/howlguitars/entry-12027694927.html

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ミュージシャン以外は興味の無い投稿でしょう。

「Binson Echorec」、ミュージシャンなら誰でも耳にしたことがあり、あこがれたエコーユニット。Pink FloydのDavid Gilmourは有名な話しですよね。もう半世紀近く前にBassistとして参加していた「ファーイーストファミリーバンド」で当時の私は発売されたばかりのローランド・スペースエコーを使っていましたが、ギターのヒロ(福島博人)はこのビンソンを愛用してましたね。

Binsonはイタリア・ミラノで1940年代に誕生した真空管ラジオのメーカーだったようです。その後ギターアンプを作りはじめ、50年代から世界的に愛用された名器の「Binson Echorec」を生産し始めたんですね。私が高校生のエレキバンド時代に好きだったイギリスのバンド「The Shadows」のHank Marvinがいち早く使っていたようですが当時は知る由もありませんでしたよ。

しかしその後、テクノロジーの進化と時代が要求する音の変化に逆らえず1980年代半ばには製造を停止してしまったようです。工場は修理サービスや工場見学ツアーなどをして残していたようですが、1996年についに工場も完全封鎖してしまいました。工場は現在でもミラノの郊外に残っているそうです。

「Binson Echorec」のことをもっと詳しく知りたい人は以下のURLから。
https://www.effectrode.com/knowledge-base/history-of-the-binson-amplifier-hifi-company/

日本でもビンソンが手に入り修理もできるようです、以下。
https://ameblo.jp/howlguitars/entry-12027694927.html

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1919年にアメリカのボストンで設立されたカメラ会社の「Keystone Camera Company」が1949年に発売した16mmムービーカメラ「Criterion A-12」と翌年に発売されたダブル8mm「Olympic K-32」。

1949年といえば私が生まれた年で、すでに73年以上経っているのに少し手入れしただけでカメラの美しい姿がほとんどそのまま残されていて、窓際に鎮座ましましていますよ。フィルムを装填するところも錆びもなくきれいだ。アメリカ人か誰だか判らないけど、楽器のように高価なものではないのに、大切に保管していた人がいたんですね。

このカメラが製造発売された頃のアメリカは、いわゆる「赤狩り」と云われた、共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員が中心となったマッカーシズムが吹き荒れ、多くの共産主義者が公職から追放されている。この頃、後のフォークシーンに多くの影響を与えたピート・シーガーがザ・ウィーバーズ(The Weavers)を結成した。

彼は1942年に共産党に入党し、1950年頃までメンバーとして活動していたらしい。そして1950年には「朝鮮戦争」が勃発した。マッカーシズムが吹き荒れる中、政府と衝突したピート・シーガーは1955年に下院非米活動委員会で喚問を受け、翌年1956年に “Where Have All The Flowers Gone(花はどこへ行った) “を発表した。(wiki)

彼の曲「Where Have All The Flowers Gone」も、黒人牧師が作曲し彼が歌って広めた「We Shall Overcome」も僕等の世代にはなじみ深い。高校の頃フォークス好きが皆歌っていたけど、僕はテケテケテケのエレキ派だったね。

このビデオのBGMに使っているウィーバーズの「おやすみアイリーン (Goodnight, Irene)」は1950年に13週間チャートの首位になっている。こんな世相となんとなく不似合いだけど、アメリカのまさにその時代に発売されたムービーカメラです。人間社会は重層的です。

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1919年にアメリカのボストンで設立されたカメラ会社の「Keystone Camera Company」が1949年に発売した16mmムービーカメラ「Criterion A-12」と翌年に発売されたダブル8mm「Olympic K-32」。

1949年といえば私が生まれた年で、すでに73年以上経っているのに少し手入れしただけでカメラの美しい姿がほとんどそのまま残されていて、窓際に鎮座ましましていますよ。フィルムを装填するところも錆びもなくきれいだ。アメリカ人か誰だか判らないけど、楽器のように高価なものではないのに、大切に保管していた人がいたんですね。

このカメラが製造発売された頃のアメリカは、いわゆる「赤狩り」と云われた、共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員が中心となったマッカーシズムが吹き荒れ、多くの共産主義者が公職から追放されている。この頃、後のフォークシーンに多くの影響を与えたピート・シーガーがザ・ウィーバーズ(The Weavers)を結成した。

彼は1942年に共産党に入党し、1950年頃までメンバーとして活動していたらしい。そして1950年には「朝鮮戦争」が勃発した。マッカーシズムが吹き荒れる中、政府と衝突したピート・シーガーは1955年に下院非米活動委員会で喚問を受け、翌年1956年に “Where Have All The Flowers Gone(花はどこへ行った) “を発表した。(wiki)

彼の曲「Where Have All The Flowers Gone」も、黒人牧師が作曲し彼が歌って広めた「We Shall Overcome」も僕等の世代にはなじみ深い。高校の頃フォークス好きが皆歌っていたけど、僕はテケテケテケのエレキ派だったね。

このビデオのBGMに使っているウィーバーズの「おやすみアイリーン (Goodnight, Irene)」は1950年に13週間チャートの首位になっている。こんな世相となんとなく不似合いだけど、アメリカのまさにその時代に発売されたムービーカメラです。人間社会は重層的です。

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1919年にアメリカのボストンで設立されたカメラ会社の「Keystone Camera Company」が1949年に発売した16mmムービーカメラ「Criterion A-12」と翌年に発売されたダブル8mm「Olympic K-32」。

1949年といえば私が生まれた年で、すでに73年以上経っているのに少し手入れしただけでカメラの美しい姿がほとんどそのまま残されていて、窓際に鎮座ましましていますよ。フィルムを装填するところも錆びもなくきれいだ。アメリカ人か誰だか判らないけど、楽器のように高価なものではないのに、大切に保管していた人がいたんですね。

このカメラが製造発売された頃のアメリカは、いわゆる「赤狩り」と云われた、共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員が中心となったマッカーシズムが吹き荒れ、多くの共産主義者が公職から追放されている。この頃、後のフォークシーンに多くの影響を与えたピート・シーガーがザ・ウィーバーズ(The Weavers)を結成した。

彼は1942年に共産党に入党し、1950年頃までメンバーとして活動していたらしい。そして1950年には「朝鮮戦争」が勃発した。マッカーシズムが吹き荒れる中、政府と衝突したピート・シーガーは1955年に下院非米活動委員会で喚問を受け、翌年1956年に “Where Have All The Flowers Gone(花はどこへ行った) “を発表した。(wiki)

彼の曲「Where Have All The Flowers Gone」も、黒人牧師が作曲し彼が歌って広めた「We Shall Overcome」も僕等の世代にはなじみ深い。高校の頃フォークス好きが皆歌っていたけど、僕はテケテケテケのエレキ派だったね。

このビデオのBGMに使っているウィーバーズの「おやすみアイリーン (Goodnight, Irene)」は1950年に13週間チャートの首位になっている。こんな世相となんとなく不似合いだけど、アメリカのまさにその時代に発売されたムービーカメラです。人間社会は重層的です。

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四年前はこんな投稿もあったね。

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年末に向かって、長応寺に置いてある機材を整理して、捨てたりハードオフに売ったりした。以前ライブのときにモニターで使っていたタンノイ社のスピーカーSystem12はそこそこの値で売れた。ただ特注で作った大きなケース等は数百円でただ同然。

写真はこのところあまり使ってないテープエコーの数々。エコーは「山びこ」みたいで音が繰り返し、リバーブというのはお風呂で歌う感じで、皆さんカラオケでお馴染み、僕は行かないけど。以前のバンド「ファーイースト」のギターはビンソンのエコーマシンを使っていた、ピンクフロイドのデイブギルモアも使っていたね。

この中で特に右側上のはかなり珍しいテープエコー、ハーフインチのテープを回してエコー効果を出す。しばらく通電していないので今も使えるのか、ちょっと心配。また使ってみよう。

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四年前はこんな投稿もあったね。

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年末に向かって、長応寺に置いてある機材を整理して、捨てたりハードオフに売ったりした。以前ライブのときにモニターで使っていたタンノイ社のスピーカーSystem12はそこそこの値で売れた。ただ特注で作った大きなケース等は数百円でただ同然。

写真はこのところあまり使ってないテープエコーの数々。エコーは「山びこ」みたいで音が繰り返し、リバーブというのはお風呂で歌う感じで、皆さんカラオケでお馴染み、僕は行かないけど。以前のバンド「ファーイースト」のギターはビンソンのエコーマシンを使っていた、ピンクフロイドのデイブギルモアも使っていたね。

この中で特に右側上のはかなり珍しいテープエコー、ハーフインチのテープを回してエコー効果を出す。しばらく通電していないので今も使えるのか、ちょっと心配。また使ってみよう。

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四年前はこんな投稿もあったね。

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年末に向かって、長応寺に置いてある機材を整理して、捨てたりハードオフに売ったりした。以前ライブのときにモニターで使っていたタンノイ社のスピーカーSystem12はそこそこの値で売れた。ただ特注で作った大きなケース等は数百円でただ同然。

写真はこのところあまり使ってないテープエコーの数々。エコーは「山びこ」みたいで音が繰り返し、リバーブというのはお風呂で歌う感じで、皆さんカラオケでお馴染み、僕は行かないけど。以前のバンド「ファーイースト」のギターはビンソンのエコーマシンを使っていた、ピンクフロイドのデイブギルモアも使っていたね。

この中で特に右側上のはかなり珍しいテープエコー、ハーフインチのテープを回してエコー効果を出す。しばらく通電していないので今も使えるのか、ちょっと心配。また使ってみよう。

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商業運転を始めた大型洋上発電。期待したい。

 

商業運転を始めた大型洋上発電。期待したい。

 

商業運転を始めた大型洋上発電。期待したい。

 

『部屋の空華 HEYA-NO-SORAHANA』。『空華 くうげ』と『空華 そらはな』はこじつけといえばこじつけです。

映像は部屋と家の周りを撮影し古ぼけた感じにしてみました。 曲は、CD「AKI FUKAKUSA LIVE ARCHIVES Vol.1 1989-1994」から『空華』、カセット音源。

秦琴を手に取って、ふっと、出てくるメロを、なんか面白いな、なんて思って曲にしようと口ずさんだり秦琴で弾いたりするがうまくまとまらず秦琴から離れて他のことをする、そしてまた秦琴を弾きだすとその曲の断片はもうすっかりどっかに消えてしまっていて思い出すことも出来なくなっている。音使いはなんとなく判るから無理矢理いろいろこねくり回して曲を作っても後から聞くとなんかつまらない曲になっていて、、。

そんなことが何度も何度もあるのでいつの頃からか浮んだ曲の断片ををiphoneで録音するようになった。iphoneにはそんな音がいっぱい入っていて、ちゃんと曲に仕上がったものもけっこうあるけれどつまらない音のほうが多い。浮かんでは消えて行く曲の断片は空に浮かぶ幻の花の空華(くうげ)のようだけれどそれを軽い感じで空華(そらはな)と云ってみました。

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『部屋の空華 HEYA-NO-SORAHANA』。『空華 くうげ』と『空華 そらはな』はこじつけといえばこじつけです。

映像は部屋と家の周りを撮影し古ぼけた感じにしてみました。 曲は、CD「AKI FUKAKUSA LIVE ARCHIVES Vol.1 1989-1994」から『空華』、カセット音源。

秦琴を手に取って、ふっと、出てくるメロを、なんか面白いな、なんて思って曲にしようと口ずさんだり秦琴で弾いたりするがうまくまとまらず秦琴から離れて他のことをする、そしてまた秦琴を弾きだすとその曲の断片はもうすっかりどっかに消えてしまっていて思い出すことも出来なくなっている。音使いはなんとなく判るから無理矢理いろいろこねくり回して曲を作っても後から聞くとなんかつまらない曲になっていて、、。

そんなことが何度も何度もあるのでいつの頃からか浮んだ曲の断片ををiphoneで録音するようになった。iphoneにはそんな音がいっぱい入っていて、ちゃんと曲に仕上がったものもけっこうあるけれどつまらない音のほうが多い。浮かんでは消えて行く曲の断片は空に浮かぶ幻の花の空華(くうげ)のようだけれどそれを軽い感じで空華(そらはな)と云ってみました。

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『部屋の空華 HEYA-NO-SORAHANA』。『空華 くうげ』と『空華 そらはな』はこじつけといえばこじつけです。

映像は部屋と家の周りを撮影し古ぼけた感じにしてみました。 曲は、CD「AKI FUKAKUSA LIVE ARCHIVES Vol.1 1989-1994」から『空華』、カセット音源。

秦琴を手に取って、ふっと、出てくるメロを、なんか面白いな、なんて思って曲にしようと口ずさんだり秦琴で弾いたりするがうまくまとまらず秦琴から離れて他のことをする、そしてまた秦琴を弾きだすとその曲の断片はもうすっかりどっかに消えてしまっていて思い出すことも出来なくなっている。音使いはなんとなく判るから無理矢理いろいろこねくり回して曲を作っても後から聞くとなんかつまらない曲になっていて、、。

そんなことが何度も何度もあるのでいつの頃からか浮んだ曲の断片ををiphoneで録音するようになった。iphoneにはそんな音がいっぱい入っていて、ちゃんと曲に仕上がったものもけっこうあるけれどつまらない音のほうが多い。浮かんでは消えて行く曲の断片は空に浮かぶ幻の花の空華(くうげ)のようだけれどそれを軽い感じで空華(そらはな)と云ってみました。

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第一次世界大戦末期の1918年に勃発した「ドイツ革命」により、皇帝ヴィルヘルム2世は廃位に追い込まれ第一次世界大戦は終結した。そしてドイツでは議会制民主主義のヴァイマル(ワイマール)共和国(1918年〜1933)が樹立された。

しかし革命の指導者の多くがユダヤ人であったことからドイツ革命に反発した民族主義者は、共産主義者とユダヤ人による「背後の一突き」がドイツを敗北へと導いたとする見方を広め、革命後のドイツでは反ユダヤ主義が高まっていった(Wiki)。

その激動の最中、1919年にドイツ労働者党(略称:DAP)が設立され、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党、ナチス)に引き継がれて行く。1919年に入党したアドルフ・ヒトラーはすぐにナチ党の中で頭角を現して行った。その後ナチ党は1932年の国会選挙で第一党となり、1933年にヒトラーは首相に就任した。これによりヴァイマル(ワイマール)共和国は終焉した。

その後は歴史が示すとおり、ヒトラー・ナチスは周辺国を侵略し第二次世界大戦が勃発した。

そんな100年近く前の激動のドイツで、カール・ツァイス財団の傘下にあったカメラメーカー「ツァイス・イコン(Zeiss Ikon )」からこの16mmカメラの「KINAMO」は発売された。ドイツの激動の歴史を見て来たこのカメラはひょっとしたらヒトラーの演説を撮影していたのかもしれない。100年近く経っているわりには綺麗で、しかもハンドルを巻けばまだ動く。レンズは「カール・ツァイス・イエナ(Carl Zeiss Jena)」が付いている。

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第一次世界大戦末期の1918年に勃発した「ドイツ革命」により、皇帝ヴィルヘルム2世は廃位に追い込まれ第一次世界大戦は終結した。そしてドイツでは議会制民主主義のヴァイマル(ワイマール)共和国(1918年〜1933)が樹立された。

しかし革命の指導者の多くがユダヤ人であったことからドイツ革命に反発した民族主義者は、共産主義者とユダヤ人による「背後の一突き」がドイツを敗北へと導いたとする見方を広め、革命後のドイツでは反ユダヤ主義が高まっていった(Wiki)。

その激動の最中、1919年にドイツ労働者党(略称:DAP)が設立され、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党、ナチス)に引き継がれて行く。1919年に入党したアドルフ・ヒトラーはすぐにナチ党の中で頭角を現して行った。その後ナチ党は1932年の国会選挙で第一党となり、1933年にヒトラーは首相に就任した。これによりヴァイマル(ワイマール)共和国は終焉した。

その後は歴史が示すとおり、ヒトラー・ナチスは周辺国を侵略し第二次世界大戦が勃発した。

そんな100年近く前の激動のドイツで、カール・ツァイス財団の傘下にあったカメラメーカー「ツァイス・イコン(Zeiss Ikon )」からこの16mmカメラの「KINAMO」は発売された。ドイツの激動の歴史を見て来たこのカメラはひょっとしたらヒトラーの演説を撮影していたのかもしれない。100年近く経っているわりには綺麗で、しかもハンドルを巻けばまだ動く。レンズは「カール・ツァイス・イエナ(Carl Zeiss Jena)」が付いている。

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第一次世界大戦末期の1918年に勃発した「ドイツ革命」により、皇帝ヴィルヘルム2世は廃位に追い込まれ第一次世界大戦は終結した。そしてドイツでは議会制民主主義のヴァイマル(ワイマール)共和国(1918年〜1933)が樹立された。

しかし革命の指導者の多くがユダヤ人であったことからドイツ革命に反発した民族主義者は、共産主義者とユダヤ人による「背後の一突き」がドイツを敗北へと導いたとする見方を広め、革命後のドイツでは反ユダヤ主義が高まっていった(Wiki)。

その激動の最中、1919年にドイツ労働者党(略称:DAP)が設立され、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党、ナチス)に引き継がれて行く。1919年に入党したアドルフ・ヒトラーはすぐにナチ党の中で頭角を現して行った。その後ナチ党は1932年の国会選挙で第一党となり、1933年にヒトラーは首相に就任した。これによりヴァイマル(ワイマール)共和国は終焉した。

その後は歴史が示すとおり、ヒトラー・ナチスは周辺国を侵略し第二次世界大戦が勃発した。

そんな100年近く前の激動のドイツで、カール・ツァイス財団の傘下にあったカメラメーカー「ツァイス・イコン(Zeiss Ikon )」からこの16mmカメラの「KINAMO」は発売された。ドイツの激動の歴史を見て来たこのカメラはひょっとしたらヒトラーの演説を撮影していたのかもしれない。100年近く経っているわりには綺麗で、しかもハンドルを巻けばまだ動く。レンズは「カール・ツァイス・イエナ(Carl Zeiss Jena)」が付いている。

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以下は二年前の投稿、このときはまだロシア・ウクライナ戦争はまだ始まっていなかった。

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今日は満月:「千年の幻想・風月同天」

人はこの月の下で悲しも喜びも愛も祈りも憎しみも深い眠りに閉じ込めて誰と約束したか知らないけれど太陽の光の下でまた静かに目覚めるのを待つだろう。

幾里も続く蓮の花に眠る夢から醒めれば 天上を穿つ鏡の様な月に多くの枯れた蓮池が映るのを見るかもしれない。 そんな夜は空にそびえる楼閣を眺め僕は一人秦琴を弾こう。細い柄に張られた三条の絹糸が桐板の胴を震わせ流れ出る音は蒼い夜を通り抜け山河を渡り海を隔てた君に届くかもしれない。

連綿と続く人の営みの中で時を隔て国を隔てても人の想いは変わらない。明日空を見上げれば千年の月はまた天上に輝き憂い多きこの地上を遍く静かに照らすはずだ。

 

 

以下は二年前の投稿、このときはまだロシア・ウクライナ戦争はまだ始まっていなかった。

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今日は満月:「千年の幻想・風月同天」

人はこの月の下で悲しも喜びも愛も祈りも憎しみも深い眠りに閉じ込めて誰と約束したか知らないけれど太陽の光の下でまた静かに目覚めるのを待つだろう。

幾里も続く蓮の花に眠る夢から醒めれば 天上を穿つ鏡の様な月に多くの枯れた蓮池が映るのを見るかもしれない。 そんな夜は空にそびえる楼閣を眺め僕は一人秦琴を弾こう。細い柄に張られた三条の絹糸が桐板の胴を震わせ流れ出る音は蒼い夜を通り抜け山河を渡り海を隔てた君に届くかもしれない。

連綿と続く人の営みの中で時を隔て国を隔てても人の想いは変わらない。明日空を見上げれば千年の月はまた天上に輝き憂い多きこの地上を遍く静かに照らすはずだ。

 

 

以下は二年前の投稿、このときはまだロシア・ウクライナ戦争はまだ始まっていなかった。

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今日は満月:「千年の幻想・風月同天」

人はこの月の下で悲しも喜びも愛も祈りも憎しみも深い眠りに閉じ込めて誰と約束したか知らないけれど太陽の光の下でまた静かに目覚めるのを待つだろう。

幾里も続く蓮の花に眠る夢から醒めれば 天上を穿つ鏡の様な月に多くの枯れた蓮池が映るのを見るかもしれない。 そんな夜は空にそびえる楼閣を眺め僕は一人秦琴を弾こう。細い柄に張られた三条の絹糸が桐板の胴を震わせ流れ出る音は蒼い夜を通り抜け山河を渡り海を隔てた君に届くかもしれない。

連綿と続く人の営みの中で時を隔て国を隔てても人の想いは変わらない。明日空を見上げれば千年の月はまた天上に輝き憂い多きこの地上を遍く静かに照らすはずだ。

 

 

二年前のIn my room。

「浜千鳥」は、(青い月夜の浜辺には、親を探して鳴く鳥が、波の国から生まれ出る)という鹿島鳴秋の不思議な詞から始まる。幼いときに親に見捨てられた鹿島鳴秋の実体験が反映されているらしい。

寂しく悲しい詞に弘田龍太郎が曲をつけ1920年(大正9年)に発表された。 私の演奏はそんな物語とは異なりリズミカルな三拍子になっています。秦琴の間奏部も入っているのでいいも悪いも叙情的な童謡とは別物です。

 

二年前のIn my room。

「浜千鳥」は、(青い月夜の浜辺には、親を探して鳴く鳥が、波の国から生まれ出る)という鹿島鳴秋の不思議な詞から始まる。幼いときに親に見捨てられた鹿島鳴秋の実体験が反映されているらしい。

寂しく悲しい詞に弘田龍太郎が曲をつけ1920年(大正9年)に発表された。 私の演奏はそんな物語とは異なりリズミカルな三拍子になっています。秦琴の間奏部も入っているのでいいも悪いも叙情的な童謡とは別物です。

 

二年前のIn my room。

「浜千鳥」は、(青い月夜の浜辺には、親を探して鳴く鳥が、波の国から生まれ出る)という鹿島鳴秋の不思議な詞から始まる。幼いときに親に見捨てられた鹿島鳴秋の実体験が反映されているらしい。

寂しく悲しい詞に弘田龍太郎が曲をつけ1920年(大正9年)に発表された。 私の演奏はそんな物語とは異なりリズミカルな三拍子になっています。秦琴の間奏部も入っているのでいいも悪いも叙情的な童謡とは別物です。

 

「短日や 日めくりの 残り日数ふ」 義父・ひろと
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けっこう長生きした義父のこの句はたぶん八十五歳過ぎて、ひょっとしたら九十を過ぎてからかも知れない。こんな心境にはまだまだならないけれど、なんとなく判る歳になって来た。

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「短日や 日めくりの 残り日数ふ」 義父・ひろと
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けっこう長生きした義父のこの句はたぶん八十五歳過ぎて、ひょっとしたら九十を過ぎてからかも知れない。こんな心境にはまだまだならないけれど、なんとなく判る歳になって来た。

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「短日や 日めくりの 残り日数ふ」 義父・ひろと
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けっこう長生きした義父のこの句はたぶん八十五歳過ぎて、ひょっとしたら九十を過ぎてからかも知れない。こんな心境にはまだまだならないけれど、なんとなく判る歳になって来た。

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