かぼちゃの収穫の時期。採れたてのものは甘みがなく貯蔵により甘みが増す。そのため食べごろは秋から冬にかけて、ということです。「冬至に食べると病気知らず」と言われるほど栄養価が高い、ですね。
「小さいかぼちゃを大きく書いた」、冥土の母より。

かぼちゃの収穫の時期。採れたてのものは甘みがなく貯蔵により甘みが増す。そのため食べごろは秋から冬にかけて、ということです。「冬至に食べると病気知らず」と言われるほど栄養価が高い、ですね。

かぼちゃの収穫の時期。採れたてのものは甘みがなく貯蔵により甘みが増す。そのため食べごろは秋から冬にかけて、ということです。「冬至に食べると病気知らず」と言われるほど栄養価が高い、ですね。

かぼちゃの収穫の時期。採れたてのものは甘みがなく貯蔵により甘みが増す。そのため食べごろは秋から冬にかけて、ということです。「冬至に食べると病気知らず」と言われるほど栄養価が高い、ですね。

7月のコタンライブ『宵待草』、ちょっと一番だけ歌ってみた。次回はちゃんと歌おう。

7月のコタンライブ『宵待草』、ちょっと一番だけ歌ってみた。次回はちゃんと歌おう。

7月のコタンライブ『宵待草』、ちょっと一番だけ歌ってみた。次回はちゃんと歌おう。

8月15日、朝から台風のニュースが多い。「災いは忘れた頃にやってくる」、こんなことも誰かいってた「災いは忘れた心にやってくる」、戦後74年は忘れた頃なのか忘れた心なのか。
Favorite・poem から

もうとっくに 日が落ちて 夕闇を人が行く
もうとっくに 鳥も帰り 静かにまた物語の幕があく
夏の夜の満月を 見上げるように
秋の枯れ葉に 耳を澄ますように
雪降る音を 聞くように
時には 遥か南の海に眠る 幾百万の魂を 弔おう
時には 遥か大地に 森に眠る 幾百万の魂を 弔おう
そして 彼らの物語に もの言わぬ言葉に 静かに耳を傾けよう
あるいは母のために あるいは父のために
あるいは天皇のために あるいは国のために
あるいは愛する人のために あるいはこの山河のために
多くの人を殺し 多くの人が殺されたこの物語を
また 誰が演じるというのだ
底知れぬ恐怖と悲しみの物語を
また 誰が演じるというのだ
無声映画のように もの言わぬ彼らの言葉に 耳を傾け
そして時には 雪の中 小さな鈴を振るように 彼らを弔おう
そして時には 満月を映す海を静かに泳ぐように 彼らを弔おう
そして時には 雨の日 窓打つ音を聞きながら 愛する人を思うように
彼らを弔おう
あるいは母のために あるいは父のために
あるいは天皇のために あるいは国のために
あるいは愛する人のために あるいはこの山河のために
多くの人を殺し 多くの人が殺されたこの物語を
また 誰が演じるというのだ
底知れぬ恐怖と悲しみの物語を
また 誰が演じるというのだ
もうとっくに 日が落ちて 夕闇を人が行く
もうとっくに 鳥も帰り 静かにまた物語の幕があく
また 物語の幕が開く
8月15日、朝から台風のニュースが多い。「災いは忘れた頃にやってくる」、こんなことも誰かいってた「災いは忘れた心にやってくる」、戦後74年は忘れた頃なのか忘れた心なのか。
Favorite・poem から

もうとっくに 日が落ちて 夕闇を人が行く
もうとっくに 鳥も帰り 静かにまた物語の幕があく
夏の夜の満月を 見上げるように
秋の枯れ葉に 耳を澄ますように
雪降る音を 聞くように
時には 遥か南の海に眠る 幾百万の魂を 弔おう
時には 遥か大地に 森に眠る 幾百万の魂を 弔おう
そして 彼らの物語に もの言わぬ言葉に 静かに耳を傾けよう
あるいは母のために あるいは父のために
あるいは天皇のために あるいは国のために
あるいは愛する人のために あるいはこの山河のために
多くの人を殺し 多くの人が殺されたこの物語を
また 誰が演じるというのだ
底知れぬ恐怖と悲しみの物語を
また 誰が演じるというのだ
無声映画のように もの言わぬ彼らの言葉に 耳を傾け
そして時には 雪の中 小さな鈴を振るように 彼らを弔おう
そして時には 満月を映す海を静かに泳ぐように 彼らを弔おう
そして時には 雨の日 窓打つ音を聞きながら 愛する人を思うように
彼らを弔おう
あるいは母のために あるいは父のために
あるいは天皇のために あるいは国のために
あるいは愛する人のために あるいはこの山河のために
多くの人を殺し 多くの人が殺されたこの物語を
また 誰が演じるというのだ
底知れぬ恐怖と悲しみの物語を
また 誰が演じるというのだ
もうとっくに 日が落ちて 夕闇を人が行く
もうとっくに 鳥も帰り 静かにまた物語の幕があく
また 物語の幕が開く
8月15日、朝から台風のニュースが多い。「災いは忘れた頃にやってくる」、こんなことも誰かいってた「災いは忘れた心にやってくる」、戦後74年は忘れた頃なのか忘れた心なのか。
Favorite・poem から

もうとっくに 日が落ちて 夕闇を人が行く
もうとっくに 鳥も帰り 静かにまた物語の幕があく
夏の夜の満月を 見上げるように
秋の枯れ葉に 耳を澄ますように
雪降る音を 聞くように
時には 遥か南の海に眠る 幾百万の魂を 弔おう
時には 遥か大地に 森に眠る 幾百万の魂を 弔おう
そして 彼らの物語に もの言わぬ言葉に 静かに耳を傾けよう
あるいは母のために あるいは父のために
あるいは天皇のために あるいは国のために
あるいは愛する人のために あるいはこの山河のために
多くの人を殺し 多くの人が殺されたこの物語を
また 誰が演じるというのだ
底知れぬ恐怖と悲しみの物語を
また 誰が演じるというのだ
無声映画のように もの言わぬ彼らの言葉に 耳を傾け
そして時には 雪の中 小さな鈴を振るように 彼らを弔おう
そして時には 満月を映す海を静かに泳ぐように 彼らを弔おう
そして時には 雨の日 窓打つ音を聞きながら 愛する人を思うように
彼らを弔おう
あるいは母のために あるいは父のために
あるいは天皇のために あるいは国のために
あるいは愛する人のために あるいはこの山河のために
多くの人を殺し 多くの人が殺されたこの物語を
また 誰が演じるというのだ
底知れぬ恐怖と悲しみの物語を
また 誰が演じるというのだ
もうとっくに 日が落ちて 夕闇を人が行く
もうとっくに 鳥も帰り 静かにまた物語の幕があく
また 物語の幕が開く
今年もまた母の絵手紙で「暑中お見舞い申し上げます」。まだまだ暑さは続くでしょう。



今年もまた母の絵手紙で「暑中お見舞い申し上げます」。まだまだ暑さは続くでしょう。



今年もまた母の絵手紙で「暑中お見舞い申し上げます」。まだまだ暑さは続くでしょう。



右耳が壊れて久しい。ほとんど聞こえない、絶えず波の様な風の様な音が聞こえている、それに高音の耳鳴りも混じってくる。風の音だと思えば風流だけどそうもいかない。逆手に取って曲を作ってみた。東京の夜空に星が見えるとなんとなくうれしいね。
右耳が壊れて久しい。ほとんど聞こえない、絶えず波の様な風の様な音が聞こえている、それに高音の耳鳴りも混じってくる。風の音だと思えば風流だけどそうもいかない。逆手に取って曲を作ってみた。東京の夜空に星が見えるとなんとなくうれしいね。
右耳が壊れて久しい。ほとんど聞こえない、絶えず波の様な風の様な音が聞こえている、それに高音の耳鳴りも混じってくる。風の音だと思えば風流だけどそうもいかない。逆手に取って曲を作ってみた。東京の夜空に星が見えるとなんとなくうれしいね。
愛知トリエンナーレ、どうかしてるぞ、これじゃぁまるで検閲じゃないか。たった一人の表現行為にギャアギャアと大衆ががなりたて市長までお出ましのあげく官房長官の助成金カットの脅し、たった一人の美術家の表現に対してこの不寛容さ。まさに「表現の不自由」そのものだ。
僕個人は慰安婦強制は当然歴史的事実と思っているし、この美術家のセンスもあまりいいとは思わないが、それとこれとは別で音楽や芸術に検閲のようなことが起きてしまう不寛容な社会の行き着くところはすでに日本人は経験しているではないか、ファシズムをもう忘れたのか。慰安婦の問題は随分前からあった、しかし社会がこれほどまでに不寛容になったのは安倍政権になってからだろう。もうすぐ8月15日がやってくる。
7月コタンライブ、曲は「海を越えて」、30数年前にこの曲で在日の韓国の女性が韓国舞を踊った、それで「海を越えて」。海は越えるんだよ。
愛知トリエンナーレ、どうかしてるぞ、これじゃぁまるで検閲じゃないか。たった一人の表現行為にギャアギャアと大衆ががなりたて市長までお出ましのあげく官房長官の助成金カットの脅し、たった一人の美術家の表現に対してこの不寛容さ。まさに「表現の不自由」そのものだ。
僕個人は慰安婦強制は当然歴史的事実と思っているし、この美術家のセンスもあまりいいとは思わないが、それとこれとは別で音楽や芸術に検閲のようなことが起きてしまう不寛容な社会の行き着くところはすでに日本人は経験しているではないか、ファシズムをもう忘れたのか。慰安婦の問題は随分前からあった、しかし社会がこれほどまでに不寛容になったのは安倍政権になってからだろう。もうすぐ8月15日がやってくる。
7月コタンライブ、曲は「海を越えて」、30数年前にこの曲で在日の韓国の女性が韓国舞を踊った、それで「海を越えて」。海は越えるんだよ。
愛知トリエンナーレ、どうかしてるぞ、これじゃぁまるで検閲じゃないか。たった一人の表現行為にギャアギャアと大衆ががなりたて市長までお出ましのあげく官房長官の助成金カットの脅し、たった一人の美術家の表現に対してこの不寛容さ。まさに「表現の不自由」そのものだ。
僕個人は慰安婦強制は当然歴史的事実と思っているし、この美術家のセンスもあまりいいとは思わないが、それとこれとは別で音楽や芸術に検閲のようなことが起きてしまう不寛容な社会の行き着くところはすでに日本人は経験しているではないか、ファシズムをもう忘れたのか。慰安婦の問題は随分前からあった、しかし社会がこれほどまでに不寛容になったのは安倍政権になってからだろう。もうすぐ8月15日がやってくる。
7月コタンライブ、曲は「海を越えて」、30数年前にこの曲で在日の韓国の女性が韓国舞を踊った、それで「海を越えて」。海は越えるんだよ。
皇居東御苑内にある「三の丸尚蔵館」に、7年を費やして完成した正倉院御物「五絃琵琶」の模造品を見に行った。本物は展示してありません、現在のその道の職人達が7年あまりをかけて製作した非常に精緻な模造品です。絃の製作を依頼されたのが琵琶湖・木之本町の邦楽器絃製作会社の「丸三ハシモト」です。この「丸三ハシモト」さんには私の秦琴の絃も作ってもらってます。
これだけのものを製作できるのは日本人の職人技のすばらしさですが、実際の模造品をまじかに見て弦楽器演奏者として少し気付いたことがあり、寸分違わず模造品を製作する難しさを考えさせられました。写真は、「三の丸尚蔵館」、本物の正倉院御物の「五絃琵琶」、それに帰りの日没がきれいだった。
毎日新聞の記事を参照。比べた写真が載っています。
https://mainichi.jp/graphs/20190705/hpj/00m/040/002000g/1



皇居東御苑内にある「三の丸尚蔵館」に、7年を費やして完成した正倉院御物「五絃琵琶」の模造品を見に行った。本物は展示してありません、現在のその道の職人達が7年あまりをかけて製作した非常に精緻な模造品です。絃の製作を依頼されたのが琵琶湖・木之本町の邦楽器絃製作会社の「丸三ハシモト」です。この「丸三ハシモト」さんには私の秦琴の絃も作ってもらってます。
これだけのものを製作できるのは日本人の職人技のすばらしさですが、実際の模造品をまじかに見て弦楽器演奏者として少し気付いたことがあり、寸分違わず模造品を製作する難しさを考えさせられました。写真は、「三の丸尚蔵館」、本物の正倉院御物の「五絃琵琶」、それに帰りの日没がきれいだった。
毎日新聞の記事を参照。比べた写真が載っています。
https://mainichi.jp/graphs/20190705/hpj/00m/040/002000g/1



皇居東御苑内にある「三の丸尚蔵館」に、7年を費やして完成した正倉院御物「五絃琵琶」の模造品を見に行った。本物は展示してありません、現在のその道の職人達が7年あまりをかけて製作した非常に精緻な模造品です。絃の製作を依頼されたのが琵琶湖・木之本町の邦楽器絃製作会社の「丸三ハシモト」です。この「丸三ハシモト」さんには私の秦琴の絃も作ってもらってます。
これだけのものを製作できるのは日本人の職人技のすばらしさですが、実際の模造品をまじかに見て弦楽器演奏者として少し気付いたことがあり、寸分違わず模造品を製作する難しさを考えさせられました。写真は、「三の丸尚蔵館」、本物の正倉院御物の「五絃琵琶」、それに帰りの日没がきれいだった。
毎日新聞の記事を参照。比べた写真が載っています。
https://mainichi.jp/graphs/20190705/hpj/00m/040/002000g/1


